聖書の人物

(4)ノア(創世記より)

『主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」しかし、ノアは主の好意を得た。』(創世記6・5〜8)

有名な「ノアの箱舟」の話は、太古の洪水伝説と関連しているが(事実西暦前4000年頃ユフラテ下流に破滅的な大洪水があったことは、考古学的にも証明されている)、この物語に見られる人間観はきわめてきびしくまた意味深長で、聖書独特である。神は人間の心中の諸悪に耐え切れず、大洪水によって人間およびいっさいの動物を地上から一掃しようとする。だが、すべての人が神を忘却し悪にひたっている中で、「ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人」であり、彼は「神とともに歩んだ」(創世記6・9)。そこで神は、「恵み」によってノアをかえりみ、彼とその家族、また彼らに命じて残された動物の一つがいずつを箱舟に避難させ、大洪水による全滅の運命からこれらの『いと小さき者たち」を救い、創造のやり直しをされるのである。

現代の人間がノアの子孫の生き残りであるとすれば、その現状はどのようであるか。全地を一挙に滅ぼすような審判はもはや下さない、と神は約束された(創世記8・21、9・1〜17)。しかし、それをいいことにして、人間自身の、人間による人間破滅の危機が迫ってはいないか。核戦争の危機、東西・南北緊張の危機、大地自然の汚染と破壊、非人間的暴力の横行、「すべての人が地の上でその道を乱す」(創世記6・12)ような世紀末的状況は、太古の話ではなく今日の現実となってはいないか。「機械主義的な学問と技術の結果、生命は軽視され、コンクリートとさまざまな機械があらゆる自然にとって代わる。合理的でたましいのないオートメーションにより、人間性は破壊されている。倫理はもはや全く問題にされない。このような道は、終局には破壊が待っている地獄への直行である。すでに今日、非常にまじめな科学者たちが語っている・・・もし私たちが、早く転換の決意をしない限り、この文明的生活の終末は次の世紀に起こりうるだろう、と」W・ハイトラー 理論物理学者)

ところで、「ノアの箱舟」の話は「神は悪人どもを滅ぼし義人を救う」といった、勧善懲悪的な観点から読まれるべきものではない。他人は滅びても自分たちだけ助かればよいと思う人間が、どうして義人でありえよう。この神話を現代的に理解しようとする場合重要なことは、『「人々」は、残酷である。しかし「人」はやさしい』(R・タゴール インドの哲学者)といった言葉に示されているような、ひとりびとりの人間に対する神の恵みの真実にめざめることであろう。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

この絵は、創元社発行の「旧約聖書ものがたり」(ジャック・ミュッセ著)に載っていた挿絵です。

【聖書の人物】過去のデータ
(1)アダム
(2)エバ
(3)カインとアベル

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