- 『それを聞いたとき、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。』(ヨシュア記2・11〜12)
- ラハブはエリコの城壁の上の家に住んでいた遊女である。彼女はイスラエルの民がエリコを攻略したとき、先に忍び込んだ二人の斥候をかくまった。そのため、エリコの住民がイスラエルによって皆殺しにされたとき、彼女とその家族はいのちを助けられた。
- だが、エリコの住民から見れば、ラハブは裏切者、内通者であろう。この女が新約聖書で「信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった」(ヘブライ人への手紙11・31)と賞讃され、あるいはマタイ福音書の系図では「サルモン、ラハブによりてボアズを生み」(同1・5)とあって、四代後のダビデ、ひいてはイエス・キリストの祖先のひとりとされていることは、あまりにもイスラエル中心の独断的歴史観と言えるかもしれない。
- ヨシュアに率いられたイスラエルの民のカナン侵入に見られるように、ひとつの民族の行為が宗教的イデオロギーで絶対化される場合、そこでは、他民族を皆殺しにすることが正当化されたり、自己の目的にそうた相手側の裏切りや内通が美化されたりする。古来多くの戦争はこのようにして起こったし、今日でも起こりうる。「ある主義主張のために死ぬ用意のある者は、そのためにちゅうちょなく殺すことができる人間になりやすい」(C・S・ルイス)。このジレンマの根本的克服は、その敵を愛して死んだイエスによってこそなされる。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)
- この絵は、テリエンの聖書物語に描かれた、ラハブがイスラエルの斥候を城壁の城壁の外に逃がしている場面です。
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