- 『エリシャはそこからベテルに上った。彼が道を上って行くと、町から小さい子供たちが出て来て彼を嘲り、「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と言った。エリシャが振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から2頭の熊が現われ、子供たちのうちの42人を引き裂いた。』(列王記下2・22〜23)
- 大預言者エリヤの弟子であったエリシャは、富裕な農夫出身であったが、エリヤの劇的な昇天後、彼の後継者となって主礼拝の純正な伝統を保つために活躍した。彼はエリヤと比べてより寛大な性格であり、やもめや困窮の人びとを奇跡によってしばしば助けた。わずかのパンで100人の飢えた人々を給食し、なお余りがあったという話(列王記下4・42以下)などは、福音書におけるイエスのパンと魚の奇跡物語(マルコ6・35以下他)の粗型でもある。
- だが、冒頭のテキストにあるように、彼をあざけった子どもたちを主のなによって呪い、そこへ熊二頭が現われて42人の子どもたちに大怪我をさせたという話は、どう考えても残酷であり非人道的と思われる。この話に関し、主の預言者を侮辱する者は当然きびしい罰を受ける―――といった解釈をしている注解者は少なくないが、罰を受けた者たちが小さな子どもであることを思うと、全く納得しかねる。これはむしろ、自分のはげ頭を子どもたちにあざけられたエリシャが大いに腹を立てた―――預言者であった彼にもそういう短気な面があった―――事件として受取るのが、最も自然で、現実的な感じがする。それを殊更に正当化して説明することは、むしろ不当なこじつけになる。
- 「呪う者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ」と教えたイエスの生き方、また彼の子どもたちに対する態度(マルコ10・13以下)などには、エリシャが行なった子どもたちへの呪いといったことの可能性の片鱗もうかがえない。偉大な預言者であったとはいえ、エリシャとイエスとの、まさに天地雲泥の差をここで知らされる。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)
- この絵は、テリエンの聖書物語に描かれた、エリヤが火の戦車に乗って天に昇るのを、はげ頭のエリシャが見ている場面です。
|