聖書の人物

(35)エレミヤ(エレミヤ書より)

『わたしの頭が大水の源となり、わたしの目が涙の源となればよいのに。そうすれば、夜も昼もわたしは泣こう、娘なるわが民の倒れた者のために。』(エレミヤ書8・23)

前587年、バビロニアのネブカデネザル王による南王国ユダの滅亡という民族の悲劇の時代にあって、絶望と悲嘆の中からたましいの声をふりしぼって預言し、人々の誤解や迫害にさらされながら、主なる神に対する信仰と希望を教えつづけたエレミヤは、イザヤと並ぶ偉大な記述預言者のひとりである。彼は特に、愛の預言者ホセアから大きな影響をうけており、その思想を個人的、内面的にさらに徹底化した。彼の言葉において、「預言者の魂の最深の鼓動」が聞かれると言われる。

エレミヤの文章は、冒頭の言葉のように、詩的表現力に富む文体であり、憂国の人、涙の預言者とも言われる彼の人柄をよく表わしている。彼は、民族の苦悶を自分自身の内臓の痛苦として受けとり、全感情を吐露して次のようになまなましく描写する、「ああ、わがはらわたよ、わがはらわたよ、わたしは苦しみにもだえる。ああ、わが心臓の壁よ、わたしの心臓は、はげしく鼓動する。わたしは沈黙することができない」(4・19)。彼はまた、神殿や祭儀を重んじる形式的宗教の堕落を批判し、「こころの宗教」を力説した。「主は言われる。『見よ、このような日が来る。その日には、割礼を受けても、心に割礼をうけていないすべての人を、わたしは罰する』」(9・24)。イエスの福音の先駆光線とも思われる「新しき契約」の預言も特筆に値いしよう。

主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。・・・・・・すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる、と主は言われる。人はもはや、おのおのその隣りとその兄弟に教えて、「あなたは主を知りなさい」とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからである、と主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない(31・31〜34)。

エレミヤは、神から「み言葉を与えられて、それを食べました」(15・16)と言う誠実な預言者であり、このような実存的信仰者であった彼には、「笑いさざめく人のつどいにすわることなく、また喜ぶことをせず、ただひとりですわっていました」(15・17)と言うような孤独な面もあった。それは、卓越した宗教的人格が俗世間にあって生きる折の、避けられぬ運命であったかもしれない。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

この絵は、バチカンのシスティナ礼拝堂の天井に描かれた、ミケランジェロの手による預言者エレミヤです。

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