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聖書の人物
(41)箴言の作者について(箴言より)
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- 箴言は1・1に「ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言」と書かれているが、これは伝説的見解である。その中にはたしかに、すぐれたソロモンの言葉も入っているだろうが、その多くは、より後の時代つまりバビロニア捕囚期以後に編集された、イスラエルの賢人や知者たちの宗教的処世訓である。祭司が律法を教え、預言者が神の幻を民に伝えることを任務とするのに対し、賢人と知者たちは、すぐれた知恵をもって人々の実生活を指導した。その言葉は簡潔平易であってしかも洞察に富み、時代や国境をこえたことわざとしてひろく知られているものも少なくない。聖書の分冊の中で日本人に最もよく読まれるのも、この箴言であると言われる。
- 箴言全体の基本的主題は「主を畏れることは知恵の初め」(1・7)ということで、あらゆる知恵と知識は何よりもまず、主なる神に対する畏敬から発することを説く。しかもそのことを実生活に即して語っているので、その表現はきわめて具体的で、わかり易い。たとえば、若い男性が性的に堕落することを戒める次のような箴言もある。
- わが子よ、わたしの言うことを守り、戒めを心に納めよ。・・・・わたしが家の窓から格子を通して外を眺めていると、浅はかな者らが見えたが、中に一人、意志の弱そうな若者がいるのに気づいた。通りを過ぎ、女の家の角に来ると、そちらに向かって歩いて行った。日暮れ時の薄闇の中を、夜半の闇に向かって。見よ、女が彼を迎える。遊女になりきった、本心を見せない女。騒々しく、わがままで、自分の家に足の落ち着くことがない。街に出たり、広場に行ったり、あちこちの角で待ち構えている。彼女は若者をつかまえると接吻し、厚かましくも、こう言った。「若いの献げ物をする義務があったのですが、今日は満願の供え物も済ませました。それで、お迎えに出たのです。あなたのお顔を捜し求めて、やっと会えました。寝床には敷物を敷きました。エジプトの色糸で織った布を。床にはミルラの香りをまきました。アロエやシナモンも。さあ、愛し合って楽しみ、朝まで愛を交わして満ち足りましょう。夫は家にいないのです、遠くへ旅立ちました。手に銀貨の袋を持って行きましたから、満月になるまでは帰らないでしょう。」彼女に説き伏せられ、滑らかな唇に惑わされて、たちまち、彼は彼女に従った。まるで、屠り場に行く雄牛だ。足に輪をつけられ、無知な者への教訓となって。やがて、矢が肝臓を貫くであろう。彼は罠にかかる鳥のよりもたやすく、自分の欲望の罠にかかったことを知らない。それゆえ、子らよ、わたしに聞き従い、わたしの口の言葉に耳を傾けよ。あなたの心を彼女への道に通わすな。彼女は数多くの男を傷つけ倒し、殺された男の数はおびただしい。彼女の家は陰府への道、死の部屋へ下る(7章)。
- 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる(3・6)。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)
- この絵は、13世紀の聖書の写本に描かれた「知恵と無知の出会い」という絵です。何かを食べている右の男が、無知の象徴でしょうか。(ジャック・ミュッセ著 「旧約聖書ものがたり」創元社より)。
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