聖書の人物

(45)イエスの母マリア(ルカ福音書より)

『六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」・・・・・マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。』(ルカ1・26〜38)

新約聖書にはマリアという名の女性が他に5人出てくるが(マグダラのマリア、マルタの妹マリアなど)、イエスの生母マリアは、「ヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に」(マタイ1・18)イエスを懐妊したという。マタイはそれを「聖霊」によるとし、ルカはそれに天使ガブリエルのお告げの物語を加え、神話文学的にさらに美化して述べている。だが、ごく現代的に表現すれば、マリアはひとりの“未婚の母”であったのである。

マルコによれば、後に郷里ナザレの会堂で説教したイエスに対し、村人たちは、「この人は、マリアのむすこではないか」と言って彼を軽侮している(マルコ6・1以下)。この発言は、たとえマリアの夫ヨセフがすでになくなっていたと考えても、イエスがマリアの婚前の子であることへの彼らのひめられた偏見を示すものではなかろうか。いずれにせよ、最古の福音書マルコには、聖霊によるマリアの処女懐胎の記事はなく、ヨハネやパウロもそれについては全く言及していないのである。

しかし、イエスの出生の事実関係が不明であること、むしろ知られうることとしては、彼は未婚の母の子であったということは、神話的、宗教的に美化された聖母マリアや神の子キリストといった概念よりもずっとリアルに、マリアやイエスを現代の私たちに近づけるものとなるであろう。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

この絵は、ボッティチェルリの『受胎告知』です。左が天使ガブリエル、右がマリア。フィレンツェのウフィツィ美術館のものです。

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