聖書の人物

(53)

ファリサイ派の人々(マルコ福音書より)

『ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。』(マルコ2・23〜24)

ファリサイ派とは、律法の厳格な実践に熱中するユダヤ教のエリートグループにつけられた呼び名である。イエスの時代には6000人以上のメンバーを擁し、会堂組織を通じて民衆に大きな影響を与えていた。彼らは、律法の細目にいたるまでその形式的遵守を重んじたため、しばしば偽善におちいることがあったと言われる。たとえば冒頭のテキストによれば、イエスの弟子たちが聖なる安息日(ユダヤ教では土曜日)に麦の穂をつんで食べたとき、それは安息日の労働を禁じる律法違反であるとしてファリサイ派の人々の非難を受けた。しかし、イエスは、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるものではない」と言い放ち、彼らの形式主義を批判するのである。

このように福音書ではいたるところ、イエスとファリサイ派の人々との対立がシャープに描かれており、そのため、ファリサイ派ないしファリサイ主義といえば、そのまま無条件的に反イエス、反キリスト教ときめつけて考えられている。だがこのキリスト教的通念は史実的に正しくない。つまり、福音書(とくにマルコ)に見られるイエスおよびその弟子たちとファリサイ派の人々との対立関係は、60年代以降に書かれた文書としての福音書における、その時代状況でのキリスト教とユダヤ教とのきびしい対立関係の反映であると言われる(E・シュテーゲマン)。イエス運動はもともとユダヤ教内部の革新運動のひとつであり、最初からファリサイ派の人々と正面切って対決したものではない。したがって、福音書テキストのさらに奥にある原初の事件の核は、おそらく、日々飢えており、安息日の細目などについてはほとんど無関心であったユダヤの下層民衆の人間性を、イエスが強く擁護したということであろう。

ファリサイ人は、諸福音書がなかば戯画的に描き出しているような、単なるイエスの悪役ではない。彼らをそのようにきめつけて考えることは、史実の歪曲となるだけではなく、恐るべき宗教的優越感と不当な差別を醸成することにもなる。ただ、ファリサイ派の人々は、下層民衆に関して、イエスのように徹底した尊厳な人間観をもっていなかった。その点が批判されたのである。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

この絵は、『聖書の時代』(河出書房新社)に出てきた挿絵です。

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