- 『さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。』(ルカ7・36〜39)
- ここに登場する「罪深い女」とは、ひとりの売春婦である。イエスが徴税人や売春婦とひんぱんに接触し、彼らの立場を擁護したことはたしかであり、マタイ21・31の「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたち(ユダヤの宗教家たち)より先に神の国に入るだろう。」は、最古のイエス伝承に属する言葉とされる(L・ショットロフ他)。売春婦はもっともみじめな境遇にいる女たちであり、彼女らの多くは生まれながらの奴隷であったり、あるいは貧困な親によって売られたり、貸しに出されたりする娘たちであった。また離婚された女を強制売春に従事させることで罰したりする地域もあり、離婚された女と遊女との用語上の区別はほとんどつけられなかったと言われる。
- だが、ルカが伝えるこの「罪深い女」は、売春婦の中でも“上等な”立場に属する。彼女は高価な輸入品の香油を持って、ファリサイ人の家に入ることができた。彼女のイエスへの接し方(ないしその描写)からは、そのなまめかしささえ読みとれる。ファリサイ人はその光景にひんしゅくし、内心イエスを侮蔑した。しかしイエスは、彼女の行為をあるがままに許容し、彼女が示したイエスへの敬愛を賞賛したのである。(7・44以下)(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)
- この絵は、ルーベンスの「パリサイ人シモンの家の晩餐」の一部です。サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館にあります。
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