聖書の人物

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 ヤコブの手紙の著者(ヤコブの手紙より)

『わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。』(ヤコブ2・14〜19)

ヤコブの手紙は、主の兄弟ヤコブ ―― イエスの兄弟でエルサレム教会の中心的指導者のひとりとなった人 ―― の名をかりて匿名のユダヤ人信徒が書いた文書である。ユダヤ教的で、とくに律法を重視する傾向が強いが、全巻をとおして信仰と実践の一体化が強調されており、教理主義的で観念的、非実践的なキリスト者たちへの批判は、冒頭のテキストに見るようにいたってきびしい。この手紙はおそらく二世紀初頭から中ごろまでの時期に書かれたと思われるが、いわゆるパウロ主義の偏向に対するいましめとして、現代においても有意義な言葉が多くしるされている。

御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。(1・22)。

人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。(2・24。ローマ3・18およびガラテヤ2・16と対照せよ。)

わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。(3・1)

人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。(4・17)(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

絵は「新約聖書ものがたり」(ジャック・ミュッセ著・創元社)に出てくる挿絵です。
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