聖書の人物

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 ヨハネ黙示録の著者(ヨハネ黙示録より)

『わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。』(ヨハネ黙示録21・1〜2)

聖書の最後尾に収められている文書、ヨハネの黙示録の著者は、伝統的にはイエスの十二弟子のひとりのヨハネであるとされてきたが、今日ではもはや受け入れがたい説となっている。おそらくこの書は、非常にすぐれた預言者でもあったあるユダヤ人信徒が、教会に対するローマ帝国の迫害が次第に激しくなってきた時代(後95年ごろ)、信徒たちを励まし、慰め、希望をもたせる意図でヨハネの名をかりて書いたものであろう。

著者がだれであれ、また不明であれぱあるだけ、むしろ本書の持つ意義は大きくなる。つまりこの書は新約聖書におげるただひとつの、未来を見つめる預言書であるからだ。それは、黙示文学の手法によって、人間の悪の時代とその終り、新しい時の到来、神の勝利、メシアの来臨、信徒たちの究極の救いを描く。しかもそれらを、ドライな教説や固苦しい神学論文としてではなく、さまざまな具象や幻、怪獣や数字のたとえによって浮き宿りにするのである。したがってその細かな解釈は厄介でむずかしい。聖書の各書にわたり綿密な注解書を書いた宗教改革者カルヴァンでさえ、(それを書く能力がなかったわけではなかろうが)ヨハネの黙示録だけは書いていない。

ヨハネ黙示録の中心テーマであるイエスの再臨と新天新地への熱い待望、(冒頭テキスト参照)は、現代のわれら人類に、深い感動と生きる勇気を与えるものである。新天新地、それは、イエス以前、イエスの時代、そしてイエス以後の人問について語る聖書全巻をしめくくるにふさわしい、黄金の筆の文字である。

われイエスは我が使いをつかわして諸教会のためにこれらのことを汝らにあかしせり。われはダビデのひこばえ、またそのすえなり、輝ける曙の明星なり。

御霊も新婦もいう、「来たりたまえ」。聞く者も言え、「きたりたまえ」と。渇く考はきたれ、望む者は価なくして生命の水を受けよ。

これらの事を証しする者いいたもう、「しかり、われ速かに到らん」。アァメン、主イエスよ、来たりたまえ(22・16〜17、20)(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

絵は「新約聖書ものがたり」(ジャック・ミュッセ著・創元社)に出てくるヨハネ黙示録の著者の挿絵です。
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