第7章 子なる神
「1900年過ぎていながら、今まで生きてきた人々の中で、イエス・キリストの生涯は、いまだに何者にもまさって重要である。」
(ディーン・インジェ)

もし聖公会に特有の教えとか強調点があるとしたら、イエス様の人格と働きを基本的な重要性として主張していることです。わたしたちの信仰と一致は、救い主イエス様の上に築かれています。主はわたしたちの救いの仲立ち、神様への唯一の道です。主は教会の頭であり、わたしたちの希望の福音の主体なのです。

わたしたちは、イエス様について何を知っているでしょう。

イエス様の人格と働きへの信仰は、わたしたちのキリストへの信仰の中心ですが、わたしたちはイエス様について、何を本当に知っているのでしょう。

わたしたちには聖書がありますが、新約聖書以外ではイエス様やその教会について、同じ時代に陳述されたものはほとんどありません。

紀元112年の1月、プリニウス・セクンドスというローマ帝国の高官が、皇帝トラヤヌスに農作物市場の暴落についての不平を書いています。もはや人々は犠牲にささげるために、動物を買わなくなったためです。彼が言うには、これは秘密組織の「クリスチャン」と呼ばれる人々の責任であって、彼らは神聖な皇帝に犠牲を捧げることを拒否しているというのです。

ほぼ同じ時代、歴史家のコルネリウス・タキトゥスは、西暦64年の夏に起こったローマの大火は、クリスチャンが原因である、と記録しています。彼はクリスチャンがどういう存在であるか、短い文章で説明を書いています。「この教派の創始者、キリストは、皇帝ティベリウスの時代に、総督ポンテオ・ピラトによって、死刑に処せられた。当座は禁じられたが、この教派の嫌悪すべき迷信的儀式は、再び広がり、悪の始まったユダヤの地だけでなく、(ローマ)市内でも、彼らはすべて、身の毛もよだち、けしからぬうねりとなって、成長している。」

これらと他のいくつかの文章が、当時の非クリスチャンの文献として、イエス様やその弟子たちについて残っているだけです。必然的に、わたしたちが彼について知る文献は、そのほとんどが新約聖書から、ということになります。

新約聖書の中の書物や手紙 ― それに加えて、歴史的研究によれば、イエス様は紀元前7年にベツレヘムで生まれたとされています。職業は大工か建築業で、パレスチナに住んでいました。彼は、ポンテオ・ピラトがパレスチナの地方総督だった紀元26年から36年の間に、処刑されました。

それらの文献は、しかしながら歴史の方向を変えた"神人"についてほとんど何も語っていません。でも、主の死から2000年近く過ぎても、いまだに彼は何百万もの人々の生活を変えています。

さあ、それ以外にわたしたちはイエス様について何を知っているでしょうか。使徒信経の彼の称号は、何かの糸口を与えてくれています。

「その独り子、主イエス・キリストを信じます。」(使徒信経)

キリストであるイエス様

啓示の最初のドラマの終わりに、神様の選ばれた、小さく信仰的な少数の民が、救い主メシアの切迫した到来を期待していたことを憶えているでしょう。メシアというのは「油塗られた者」という意味のヘブライ語の言葉です。ギリシャ語ではそれをクリストス(キリスト)と訳しています。

キリスト到来を信じるヘブライ人の信仰は、何世紀にもわたって発展してきていました。ヘブライ人たちはモーセという、彼らをエジプトの奴隷生活から導き出した民族の英雄を心に描きました。そして新しいモーセが立ちあがると、神様と神の民との契約を新しくする、と信じていました。

彼らはダビデという、彼らを勝利に導いた王も心に描きました。しかし、そのダビデの名声の真の強調点は、彼がまさしくその偉大な先祖の王に匹敵する王であるということです。王は、彼らを敵から救い、忠実さと正義で彼らを支配するのです。

そして、彼らはこの王、この救い主に関する預言者たちの言葉を心に描きました。救い主は死ぬべき普通の人間ではなく、世を裁くために神様から遣わされて来る方なのです。

イエス様は決して御自分のことを開けっぴろげに救い主であるとは主張されませんでした。しかし、弟子たちに、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と聞かれた時、ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えると、イエス様はペトロを呼んで"祝福"することで、応じられました。なぜなら、この知識はただ神様から来たものだからです。そして彼がキリストであることを誰にも言わないように、弟子たちに命じられました。 (マタイ16・13〜20)

「彼(イエス)は、キリスト教徒のためだけではなく、全世界の、すべての民族とすべての人々のために存在している、と私は信じている。」
(マハトマ・ガンジー)

神の子であるイエス様

使徒信経は、イエス様がキリスト(救い主)であること語り、そして彼のことを神の独り子であると言います。

ニケヤ信経はそれ以上に語ります。それはイエス様のことを「神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られず、生まれ、父と一体です」と言います。すべてこれらの言葉は、ただひとつのことを強調されるように意図して造られています。すなわち、イエス様の中に、わたしたちと会い、わたしたちを救う創造者である神様が存在しているということです。イエス様の中に、わたしたちは神様の働きを見、また経験するのです。

ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と言った時、彼は単に、「イエス様は神の子です」、と言ったのではありません。彼は、「イエス様は神様からの神様で、父と一体である」と言ったのです。イエス様を「神の子」、と呼びかけることは、イエス様の中に、わたしたちは神様ご自身を見て、経験していることを認めることなのです。

主であるイエス様

ラテン語の主を意味する言葉「ドミヌス」は、「奴隷を所有する者」という意味です。あなたの主は、あなたを所有するのです。しかし、その言葉には別の意味もあります。

ヘブライ人は神様の名前を持っていました。しかし、その名前は大変聖なるものなので、それを書いたり、口に出したりすることは許されませんでした。ですから、その名前を書くかわりに、子音だけ、YHWH と書いたのです。そして、その名前を声を出して言うかわりに、「主」(アドナイ)という言葉を使ったのです。

わたしたちが、イエス様を「主」と言う時、わたしたちはこれらの両方の意味をもってそれを使います。わたしたちは彼を、わたしたちの主人であり、わたしたちの神様であることを認めているのです。

今日では、このことは大した重要性がないように見えます。しかし、新約聖書の時代、多くのクリスチャンはイエス様が主であることを否定するよりも、死を選んだのです。皇帝礼拝は、ローマ帝国の公式宗教でした。毎年一度、帝国の全市民は執政官たちの前に出て、神聖な皇帝に、一つまみの香をたきました。そしてその間に「皇帝は主である」と言ったのです。クリスチャンたちには、これは呪いの言葉でした。彼らの信経の中心であり本質は、「イエス様だけが主である」ということでしたから、その事実を否定することよりも、虐待、投獄、殉教を受けることを選んだのでした。

これ以外のイエス様の人格と働きについて教会が教えているものは、三つの基本的な教理、あるいは教えの中にあります。

・受肉の教理
・贖いの教理
・復活の教理

これらの三つのキリスト教の教理は、次回からの三つの学習で考えます。

Q1.聖公会に特有の教えは、何ですか? それはどうしてですか?

Q2.神の民であるヘブライ人(ユダヤ人)は、「救い主」にどんなイメージを期待していましたか?

Q3.イエス様を「神の子」と言う時、どんな意味が含まれていますか?

Q4.イエス様を「主」と呼ぶ時、どんな意味がこめられていますか?

Q5.ローマ帝国でキリスト教が迫害されたある理由が紹介されていますが、それは何ですか?

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第6回のふりかえり

前回のQ1.は、いきなり難しかった、という感想を聞きました。しかし、私たちが伝道するには、これが一番大切ではないか、と考えます。

私が読んだ小説の中で、小学生にカトリックの神父が、神様の存在を話しているところがあるので、少し長いですが紹介します。

「じゃ、今日は最初だから、神さまは、ほんとうにいるのかどうか考えてみようね。」
結城神父の目に楽しそうな表情が浮かんで、ふと、後ろにいるぼくを見た。ぼくは思わずうなずいていた。
彼はまず、教室の棚にあったバラの造花を持ってきて、教壇の上に飾られた赤いチューリップと並べて置いた。
「このバラの花を見てください。みんなの中に、この造花は、だれも何もしないのに、いつのまにかピョコンと出てきたと思っている人はいますか?」
子どもたちは、クスクス笑いながら首をふった。
「そう、じゃどうしたのかな?」
「中村くんのママが作ったの。」
「ああ、そうなの。上手にできてるねエ、本物みたいだね。」
結城神父は、そっとバラの花びらにさわった。
「じゃ、今度はこのチューリップを見てください。きれいな色の花びらがあって、葉っぱがあって、バラの花と同じですね。生きている本物だからもっときれいです。さて、こっちのバラの造花は中村くんのママが作ったんでしたね。じゃ、このチューリップはどうでしょう。だれも何もしないのに、いつのまにかピョコンと出てきたんでしょうか?」
子どもたちは、首をかしげている。
「こっちのバラは、確かにだれかが作ったのに、こっちのチューリップを作った人はいないなんておかしいでしょう?生きている花を作るのは、きっともっとむずかしいから、とても頭がよくて、とても器用でないと作れないでしょうね。」
神父は、花を机の横に片づけると話を続けた。
「みんなの家にはお人形さんがあるでしょう。男の子は持っていなくても、お姉さんか妹のがあるかもしれませんね。このごろのお人形はよくできていて、オッパイを飲んだり、オシッコをしたり、お話をするのもありますね。そういうお人形は、自然に出てきたのじゃなくて、さっきの造花のようにやっぱり人間が作ったものですね。
ロボットは、お人形よりもっといろんなことができます。動きまわったり、お茶を運んだり、しゃべったりしますし、このごろでは大学の先生たちが研究して、人間と同じように階段を上れるものもできたそうです。でも、スムーズに階段を上るというだけでも、ロボットにさせるとなると、それはそれは大変なしかけが必要なのだそうですよ。手術の時に、心臓や肺の役目をする人工心肺というものもできました。こういうものは、みんな人間が知恵をしぼり、大変な研究をして、本物の人間の仕組みをまねして作ったものなのです。」
神父は、いったんことばを切って、子どもたちの顔を見まわした。
「さあ、ここでよく考えてみてください。人間の形をしたお人形さんも、ロボットも、人工心肺も、人間が作りました。それはみんなも、よくわかりますね。じゃや、その本物の人間のほうはどうなのでしょう。歩くことも、食べることも、さっさと階段を上ることも、話すことも、考えることも、何でも自由にできる人間、ロボットとは比べものにならないくらい何でもできる生きた人間。これはいったい、だれが作ったのですか?コンピューターのようなすごいものを考え出すその頭は、いったいだれが作ったのでしょう。きっと、びっくりするほど頭のいい、すばらしいだれかが作ったにちがいありませんね。そう思う人は、手を上げてみてください。」
子どもたち全員が、勢いよく手を上げた。
「そのだれかを、私たちは『神さま』と呼ぶのです。」
(坂牧俊子著「末っ子先生」より・パウロ文庫。女子パウロ会)

Q2.については、箇条書きされたところを指摘いただけたらよかったのではないか、と思います。内容は前回のテキスト3〜4ページを見てください。これは、易しかったでしょう。

Q3.「アッバ」というのは、ユダヤ人の赤ちゃんが父親を呼ぶ時の言葉です。イエス様自身が、神様を「アッバ」と呼ぶのは、まず天地の創造者である神様が、イエス様にとって親密な、愛情のあふれる関係にあることを意味しています。そして、その「アッバ」という呼びかけで始まる主の祈りを弟子たちに教えられた、ということは、神様が私たち人間にとっても実の父親のように親しい関係になれることを意味します。この呼びかけは、私たちを神様の子どもにし、また天国の相続人にしていただけたことを意味しているのです。

Q4.これまで、神様は遠い天の高い所におられる、と考えて、その超越性が強調されていました。しかし、「私たちの存在の根底」ということになりますと、今までとは全く方向が逆になります。上のはるか遠い所ではなく、下の私たちを支える地面という身近な所の存在として定義されているのです。超越性ではなく、内在性ということになるでしょうか。イエス様が「アッバ」と言ったように、神様は私たちと親しい関係にある、ということを示してくれます。教会の礼拝堂建築にもそんなものを感じるでしょう。昔は、教会の塔は天国を指し示す神様の指であるかのように教え、また入口からずっと入って、奥の深いところで、司祭は向こうを向いて礼拝していました。みんなで、はるか遠い東の方を向いて(これは礼拝堂が東向きの場合ですが)超越者である神様を仰いでいました。ところが、近代の教会建築は、高さではなく、世界に広がる教会を意識して建てられています。司祭は会衆を向き、会衆同士もお互いの顔を見ながら、私たちの交わりの中心に神様がいることを感じられるように意図した設計です。

Q5.については、みなさんどのようにして探されたでしょうか。私は、「女性の尊厳と使命」という教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡というのを調べました。すると次の3箇所が例として挙げられていました。@イザヤ書49・14〜15.Aイザヤ書66・13.Bマタイ23・37.(並行箇所としてルカ13・34).回答の中にはBを挙げる人が多かったようでした。やはり福音書ですから印象が深いのでしょう。そのイエス様の言葉は、どこから来たのか調べると、旧約聖書続編の中にありました。

全能の主は、こう言われる。「父が息子に願うように、また、母が娘に、乳母が子供に願うように、わたしはお前たちに願ったではないか。お前たちがわたしの民となり、わたしがお前たちの神となることを、また、お前たちがわたしの子供となり、わたしがお前たちの父となることを。わたしは、ちょうどめんどりが雛を翼の下に集めるようにお前たち を集めた。」(エズラ記・ラテン語1・28〜30)

今回は引用が多くなりました。しかし、大切な箇所だと思ったので、出版社と著者の坂牧俊子さんに許諾をいただいて、引用しました。 受講者から、いろいろおもしろい回答がありましたが、今回は紹介できませんでした。申し訳ありません。

2000年7月7日 担当者 教育部長 司祭 小林史明



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