第16章 奉仕職
「教会の役割は、教会自身を救うことではない。キリストがすでにそれは行った。むしろ、教会自身を、愛と奉仕にささげること、――実を言えば、世界のために死ぬことである。」テリオ・ヴィナリ

奉仕職(Ministry)は、教会のまったく特別な言葉です。これはギリシャ語のディアコノスから来ていて、意味は「給仕をする者」ということです。そして、それは、すべてのクリスチャンにあてはまることであって、按手された聖職者だけを言うのではありません。教会の奉仕職は、洗礼のしるしを受けているすべての人によって担われます。それは、わたしたちがキリストの名によって、行う奉仕です。どんな奉仕活動も、その名によって実行されます。それはわたしたちの独力でやるのではなく、キリストがわたしたちを通して働かれるのです。

信徒(Laity)という語も、特別な言葉です。これはギリシャ語のラオスで、その意味は「神の民」。そしてこれは、聖職者と信徒を等しく見なして、教会全体としてとらえている言葉です。聖パウロは、キリストが多くの肢体、また組織からできており、それらは一緒になって、ひとつの体を構成している、と言います(Tコリント12章を見てください)。そして彼は、体には奉仕の賜物が与えられていることを強調します。それは、選ばれた部分だけに与えられるものではありません。

しかし、教会は常にこの新約の奉仕職理解の信仰を持ち続けていた、というわけではありません。わたしたちは、あまりにもしばしば、按手された専門的な者に任せてきていました。しかし、1968年のランベス会議に出席した主教たちは、信徒の奉仕職が「世界に対する教会の全奉仕職の不可欠の部分」であることを強調しました。なぜなら、そこには、教会全体に内在する奉仕職の、最も霊的、人的資源があるからです。これは、当然のこととして理解できるでしょう。もし、キリストの奉仕職が、世界に向かってのものなら、そして、もし信徒が毎日、社会に参加しているなら、その奉仕職を実行する最適の場に居るのは、明らかに信徒たちだからです。

按手された奉仕職

按手された奉仕職の機能は、信徒に信徒としての奉仕職を身につけさせることです(エフェソ4・12を見てください)。

按手された奉仕職は、使徒たちの奉仕職の上に築かれています。イエス様は使徒たちを呼んで、彼らに指導力と権威の訓練をしました。弟子たちに特別な教えを授け、特に教会の世話をするように命じられたのです。

聖霊降臨の後、使徒たちは教会の一致の焦点になりました。彼らは教会の教えの根源となったのです。初代教会のクリスチャンたちには、それ以上の組織は必要ありませんでした。もし、信徒たちが教会の教えを知りたければ、彼らは使徒に問えました。しかしながら、一旦教会が成長しはじめると、その状況も変わりはじめました。使徒たちは、もはや自分たちだけでその地域を担当できず、地方の教会を整えて教えるために、使徒の代理人として、他の人を任命する必要が出てきました。彼らは教会から広く選出されましたが、彼らは常に、使徒たちか、あるいは使徒たちによって按手の権威を与えられた人が派遣されて、按手されました。

新約聖書に出てくる按手された奉仕職の状況には、しばしば混乱が見られます。しかし、ひとつ明らかなことがあります。それは、奉仕職のすべての権威は、使徒たちを起源としていて、すべての奉仕職は、使徒たちの指揮下に行われた、ということです。

わたしたちは、教会の中で発達した3聖職位(主教・司祭・執事)の奉仕職の正確な過程を知りません。わたしたちにわかっていることは、イレナエウスやテルトゥリアヌス(紀元180年頃)などの著述家の時代までに、主教は、過去に亡くなった使徒たちの仕事を受け継ぎ、司祭たちは地方の教会で使徒たちの奉仕職を実行し、執事たちは病気や貧しい人々の世話をしたということです。そしてもっとも重要なことは、それらの著述家たちの文献を読むと、この3聖職位が存在しなかった時代の記憶がないように見えることです。

主教

主教の職務は、今も監督する(監視する)仕事です。

主教は教区の働きを見ています。主教の奉仕職には、重要な部分として管理することが含まれています。主教の務めのこの面を軽視して見ている人がいます。彼らは「主教たちは、管理することに時間をかけ過ぎている。」と言います。しかし、管理は、主教の奉仕職の中心的で、不可欠の部分であって、それを無視することは、責任の不履行ということになります。

同時に、主教の職務のしるしは、羊飼いの杖であり、キリストの群れの羊飼いとしての主教の役割を象徴しています。この牧会的役割は、特に教区の聖職たちに対しての管理ということです。彼らの権威は主教からきたものであって、地方教会において彼らが備えるべき奉仕職を、本当に身につけているかどうか、主教はそれを確かなものとしなければなりません。

司祭

聖公会の多くの聖職が、司祭職に属しています。司祭は地方の教会を統括するために、主教によって任命されます。しかし、司祭は単なる「支店経営者」ではありません。司祭には特有の奉仕職があり、それは按手式での主教の語る言葉で、よく表現されています。「神の教会の司祭の職務と働きのために聖霊を受けなさい。今、あなたにそれを委嘱するために私たちの手を按きます。誰でも、あなたが赦す罪は赦され、あなたの留めておく罪は留まります。そして、神の言葉と聖なるサクラメントの忠実な執行者となりなさい。父と子と聖霊の御名によって。アーメン」

司祭たちはサクラメンタル(聖奠的)な人々です。地方の教会に使徒的奉仕職が臨在することのしるしです。彼らへの委嘱は、使徒たちへのものと同じです。彼らは聖餐式、洗礼式を主宰し、福音を説教し、教え、訓練します。「聖なる者たちが奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を作り上げてゆく」ために(エフェソ4・12)。

執事

今日、執事職は、多くの人には司祭職のための見習い期間でしかありません。それは、おそらくほとんどの司祭が、司祭に按手される前に、執事に按手されている事実から来ているのでしょう。しかしながら、歴史的には執事職は、それ以上に重要なのです。

初代教会では、執事は教会の財政と管理を委嘱され、病気や貧しい人の世話をしていました。また、公の礼拝でも中心的な役割を持っていました。聖餐式は執事なしには行えなかったのです。

司祭が、まず執事に按手されなければならない事実は、私たちに按手の中心的な特性をずっと思い出させているのです。司祭は奉仕するために按手されている、ということです。

「夢の中で、私は不思議なことに博物館に来た。そこに入ってひとりのガイドが私をずっと案内してくれた。戦いのために大変傷ついた鎧があった。少額の銅貨と鳥の羽があった。包帯の布、金槌と釘と茨があった。私は酢が滴っていたスポンジと、小さな銀の塊を見た。大切な場所に置かれている小さな杯を私が手にとって見回している間に、私はガイドにつぶやいた。「あなたのコレクションの中には、手ぬぐいと桶はありますか。」彼は「いいえ。」と答え「ごらんなさい。それは今も使われています。」と言った。

教会の奉仕職

さあ、私たちは、教会全体の奉仕職から始めたのですが、そこに帰っていきましょう。洗礼を受け、十字架の印をしるされた人々の奉仕職です。

私たちは、すべてのクリスチャンには少なくともひとつ、礼拝と奉仕の賜物あるいは可能性を持っている、ということに気づいてきました。それらの賜物は、多種多様で、聖霊は私たちの賜物を通して、私たちの時代に、神様のみこころをもたらして下さることに気づきました。

しかし、聖霊が私たちに与えてくださっている賜物は、ほとんどの場合、自分たちで見出す必要があります。そして、それらに磨きをかけて訓練し、鍛えられることが必要です。主教、司祭、執事の職位は、もっぱら教会を構成するこれらの聖徒たちに奉仕職の準備をさせるよう、促進するために存在しているのです。

この新約聖書の事実の再発見は、今日の教会にある聖霊の最も重要な活動のひとつかもしれません。神様の世界全体にわたって、"教会の普通の人々"は、彼らの賜物を発見しはじめ、それらを成長させ、神様の奉仕の中で、用いるのです。

彼らの賜物は多種多様で、それらには、教え、いやし、子育て、聴くこと、料理、人を喜ばせること、経営、建築、魚釣り、農業、治安、兵役、その他がありますが、それらは、キリストの名による他者への奉仕として行われます。

Q1.テキストのはじめの方(2ページ)で、信徒の奉仕職が強調されていますが、それは何故でしょう?

Q2.使徒たちが按手を始めた理由は何ですか?

Q3.主教が教区の聖職たちを管理する目的は何ですか?

Q4.見習い期間と思われている執事職が、歴史的にはどうして重要なのでしょう?

Q5.聖職位が存在する目的は何ですか?

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第14回のふりかえり

表紙の絵について

このところ、テキストの表紙はその回のテーマと関係があって、一目で意味がわかったのですが、第14回のものは、どのように受け取られたでしょうか。最初は、英国の宗教改革に出てくる人物かなあ、と考えました。しかし、手前の大きな人物にグロリア(光輪)があり、手に持っているのが巻物のようなので、16世紀のものとは思えなくなりました。

おそらく、イエス様がナザレの会堂で預言者イザヤの巻物を読んで「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められたところ(ルカ4章)だろうと思います。後ろで話している人の1人は、キッパと呼ばれる、ユダヤ人が祈りの時に頭につける小さな帽子を被っています。

Q1.について
ヘンリーが自らを、英国教会の首長であると宣言すると、もはやローマ教皇の力が及ばない、独立した教会になりました。そして、教会を統括する聖職者の最高位であるカンタベリー大主教をヘンリーが任命することになったのが変化です。しかし、主教たちはそのまま英国教会の主教として存在し、司祭たちはラテン語で聖餐式を行っていました。ですから、一般市民には、その変化は目に見える形ではなくて、大した出来事ではなかった、ということです。つまり、この変化は、政治的な変化であって、信仰的な変化ではなかったのです。各教会は、以前と同じように営まれていました。

Q2.について
エドワードの時代になると、礼拝が英語でささげられるようになりました。聖書が英語に翻訳されはじめたのは、1541年のヘンリーの命令からですが、1549年に第1祈祷書(どちらかと言うとカトリックに配慮した祈祷書)、1552年に第2祈祷書(プロテスタントに配慮した祈祷書)がカンタベリー大主教クランマーによって編纂され、発行されると、庶民にわかる英語の礼拝が行われ、中世以来一種陪餐(パンだけ)だった会衆も、ぶどう酒をもらう二種陪餐になりました。1553年には、アウグスブルグ信仰告白をもとにして、クランマーは聖公会の立場を明らかにした四十二箇条を執筆。これが後の三十九箇条へと発展します。これらのエドワードの改革は、彼のふたりの保護者によって行われたのですが、それはヨーロッパの改革教会の影響を受けた人々でした。この保護者(Protector)は、エドワードの伯父サマセット伯爵と、彼にとって代わったノーサンバーランド公爵で、彼らは協力したのではなく、後者は前者の人気を恐れて、1552年、彼を斬首しています。

Q3.について
メアリーは、自分がヘンリーとキャサリンの間の子どもであり、その結婚を無効と宣言したカンタベリー大主教やプロテスタント寄りの政治家の一掃を図りました。そして教会をカトリックに戻すように行動しました。ノーサンバーランドやクランマーを処刑し、教会の礼拝はヘンリーの末期の状態に戻りました。その政策、特に政治家や宗教指導者を次々処刑することに市民は恐怖を覚え、彼女を「血のメアリー」と呼ぶようになったことは有名です。

Q4.について
「ヴィア・メディア」についての説明は、今回はテキストから引用せず、キリスト教大事典から紹介します。

ヴィア・メディア。<中道>の意。ローマ教会とプロテスタント教会とのいずれにもかたよらない<中間の道>として英国聖公会の立場を表明する語。J・H・ニューマンらのオックスフォード運動の指導者が好んで用いた語であるが、思想としてはすでに17世紀の思想家G・ハーバートやパトリックに現れ、更に遡って16世紀エリザベス1世の時代にR・フッカーのような神学者によってその基本的方向が示されている。
(キリスト教大事典より)

エドワードやメアリーのような両極端の政策に庶民はついて行けず、この歴史・伝統から、英国人が理性的に選び取ったのが、このヴィア・メディアではないか、と思います。

Q5.について
「教会は多くの人にとっては、国務省のようなものでしかありませんでした。」という時の「国務省」が何を意味しているのか、訳していて、私自身よくわかりませんでした。辞書では、日本で言う「外務省」のようなもの、とありましたが、ピンと来ません。

私の想像ですが、これは一般的な「お役所」みたいな仕事ではないか、と考えます。

たとえば、赤ちゃんが生まれた場合、国教会である英国聖公会で洗礼を受ければ、もうそれで市役所などへ届け出る必要がない、という話を聞いたことがあります。また、6年前、リバプールで働くフィリップ・ガートサイド司祭(以前福岡で英語教師をし、現在は修道士になっている)を訪ねた時、「今日は昼過ぎに葬式を司式するので1時間ほど留守する。」と言って出て行き、アッと言う間に済ませて帰ってきました。火葬場で直前に祈っただけだったんですね。

町のほとんどの人が教会員である場合、教会の仕事は、信徒にとっては、通過儀礼のためのお役所仕事のような位置付けで、個人個人の悩みに対応できていない、ということかもしれません。

このような有様に対して、信仰覚醒運動、オックスフォード運動、キリスト教社会主義などの運動が展開し、世界宣教へと結びついていったのだろうと思います。アングリカン・コミュニオンというのが、世界の聖公会の交わりのことで、これに、オーストラリア聖公会も、日本聖公会も入っています。

元の第15回のテキストは「オーストラリア聖公会」なのですが、私たちと直接関係がないので、16回の奉仕職を配布しました。次回は「教会の書物としての聖書」になります。

2001年3月1日
担当者 教育部長 司祭 小林史明


アングリカン