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第17章 教会の書物としての聖書
- 「学者であり翻訳家のJ・B・フィリップスは言った。『新約聖書の活動的な部門を研究した人は、その生命力が驚くべきものであることに気づく、ということを私は見出した。私は自分自身駆り立てられ、挑戦され、刺激され、慰められ、概して、私の浅はかな聖書の知識の誤りを悟らされる。何世紀もの時間の隔たりは消え去り、私は永遠の真実に直面させられた。私の魂は、嫌々ながらだが、それを受け入れるように、決心させられる。』」
- キリスト教のことを、「本の宗教である」と考えている人もいるでしょうが、そうではありません。聖書の中の各書物は教会の生み出したものであって、その反対ではありません。それらは教会員によって、教会員のために書かれました。そして、それらは教会によってだけ理解し、解釈できるものなのです。
- 教会史の最初の400年。わたしたちも知っているように、聖書は存在していませんでした。最初のクリスチャンたちは、イエス様の生と死と復活の記録を持っていませんでした。彼らにはそんなものは必要なかったのです。彼らは直接に口伝えで彼らのメッセージを伝えることができました。初代のクリスチャンが言う「聖書」とは、ユダヤ教の信仰の聖書、わたしたちが「旧約聖書」と呼ぶ書物のことだったのです。
旧約聖書
- ヘブライ語の聖書は、何世紀にもわたって、大勢のいろんな著者によって書かれました。その人たちは、おそらく自分たちの書物が聖なる書物とは考えていなかったでしょう。
- それらの著者の何人かは、民族の物語や伝統を記録しました。またある人たちは法律や規則を記録しました。またある人たちは歴史を記録しました。詩を書く人たちもいました。そして彼らはすべて普通の人々で、その時代の限られた知識しか持っていませんでしたから、彼らの理解も限定されていました。ですから、旧約に創造や進化についての質問の答えを期待するのは、馬鹿げています。これは科学の書物ではありません。これは、神様がイスラエルという旧約の教会に、ご自身を緩やかに啓示した絵(象徴)を、私たちに提供している、書物集なのです。
- 「聖書を『神のことば』として受け入れている現代人クリスチャンは大変多い。そして、すべての部分においてそれが正しいか間違っているか、判断するのは、全く読み手の自由であると思われている。しかし、ラムゼー大主教は、私たちに『キリスト教の中心的事実は、本ではなく、イエスという人物である。彼自身、神の言として描かれている。』ということを気づかせてくれた。この理解は、聖公会員が、聖書的人文学や根本主義の迷信的偶像崇拝を避け、聖書を批判的に見る自由を私たちに可能にしたのである。それゆえ、過去150年以上、聖公会の学者は、他の本では耐えられなかった科学的な検査に聖書をゆだねることができた。この過程で、聖別された牛は屠殺され、金の子牛は破壊されたが、しかし、聖書中の神の啓示は、刷新と強力な権威による経験から、浮かび上がってきた。」
新約聖書
- 新約の形成もまた、緩やかな過程でした。
- 最初に書かれたのは、おそらく主の言葉集と、教会の指導者たちから地方の教会に送られた手紙でしょう。やがて最初の証人たちは死にはじめたので、彼らの証言を記録する必要が出てきました。
- 最初書かれたものの多くは失われ、忘れられました。しかしいくつかは質を保ち、200年頃までに教会は、それらを集めてわたしたちの持っている新約聖書の基礎を形作りはじめました。「ムラトリ断片」(古代の羊皮紙)は、190年頃、ローマ教会によって認められた新約のリストです。リストは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書、使徒言行録、パウロ書簡、フィレモン、テトス、テモテ、ユダ、ヨハネの2書簡。書き手は、ほかの手紙も出回っていることに言及しています。「ひとつはラオデキアへのもの。もうひとつはアレクサンドリアへのもので、どちらもパウロの名を偽っており、マルキオンの異端に適合している。そして、いくつかの他のものは、普遍的教会には、ちょうど胆汁を蜂蜜と混ぜるようなものだから、一緒に受け入れることはできない。」言及はヨハネ黙示録にも及んでいますが、それは権威ある新約聖書のリストには入れられていません。
- 明らかに、200年までに、新約聖書に何を入れて何をそれから外すかのコンセンサスの作業は始まっていました。しかし、今日のわたしたちの持つ新約聖書と同じリストができるまでには、さらに200年かかりました。
福音書
- 福音書を理解するために、これらは、全教会にあてて書かれているのではない、ということをわたしたちは認めなければなりません。それらはそれぞれに特別な読者を心に描いて書かれたのです。各福音書には、それ自身のテーマ、目的、そして強調点があります。
- マルコによる福音書が、一番はじめに、おそらく65年頃に書かれました。ローマの教会にいる異邦人クリスチャンのために書かれ、パピアスという古代キリスト教歴史家によると、これは聖ペトロの教えの記録であった、ということです。異邦人クリスチャンのために書かれたという理由は、マルコによる福音書には、ユダヤ教の習慣や、アラム語の説明がたくさん含まれ、旧約聖書への注意がほとんど払われていないからです。
- 福音記者であるマルコは、使徒言行録の「ヨハネ・マルコ」であったかもしれません。そして福音書の、ある2節は、彼が少なくともイエス様の奉仕職のある部分の直接の証人であったことを示しています。イエス様が逮捕された時、彼はこのようにしるしています。「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」(マルコ14・51〜52)この出来事は、他の3つの福音書では言及されていません。マルコによる福音書の物語にだけ加えられているのです。いったいどうしてそれに言及したのでしょうか。ひとつの答えとして考えられることは、マルコは自分自身のことを書いているということです。彼はこのように言いたいのです。「私がそこに居たんだ。何が起こったかを私が見たのだ。」
- マタイによる福音書は、それとは違った特質と形態をしています。これはユダヤ人改宗者のために書かれています。ですから、多くの旧約聖書の引用を用いて、イエス様が約束されたメシアであり、旧約の預言を成就させる方であることを説明するために著されました。
- 使徒のマタイは、この福音書を書きませんでした。彼はイエス様の生涯を知るために、この書物の著者がマルコによる福音書を史料として使うような使い方は、する必要はなかったはずです。しかし、パピアスというクリスチャンの歴史家は、それ以前のことについて述べて、「マタイは、ヘブライ語のイエスの言葉を集めた」と書き記しています。そして、マタイの集めた言葉集が、この福音書の基礎を形作ったのです。だから、この福音書が彼の名前と結びつけられたのでしょう。
- ルカによる福音書は、「思索の福音書」と言われています。これは使徒言行録と共に、聖パウロの旅に同行した、キリスト教弁証法を学んだ医師によって書かれました。
- ルカは、キリスト教が単なるユダヤ教の分派ではなく、ローマ帝国の霊的必要を満たすに十分な信仰であることを説明し、証明しようとしたのです。
- ヨハネによる福音書は、他の3つの福音書と、大変異なっています。著者は使徒聖ヨハネだったかもしれませんが、イエス様の生涯の調和のとれた黙想書を書こうと努めました。彼はイエスの生と死と死からの復活を記録しました。しかし、彼はそれ以上のことを考えていました。彼はこれらの事実の背後にある意味を探求し、説明したのです。
- ヨハネは神学を書きました(神学は、私たちが何を信じているのか、問いかけはじめる時、起こることです)。彼の福音書は、ずっと昔に起こった経験の回顧と、その経験を熟考したことを提供しています。
- 「私たちは、聖書を承認し、守ってきたのだ。教会から切り離すことはできない。神の書物と神の共同体は、ひとつの啓示についてのふたつのお互いを制御する要素である。
新約の手紙
- 新約の、他のほとんどは手紙(使徒書)です。
- それらの手紙の著者たちは、彼らの手紙がのちの世代の人々に、大切なものとして保たれようとは、全く思っていませんでした。彼らは特定の人々や共同体にあてて、明確な問題について書いているのです。時々、わたしたちには、これらの問題が何だったのか理解しにくいことがあります。手紙を読むというのは、電話の会話の終わりの部分を聞くようなものです。しかし、私たちは最初の世紀の教会の生活の特質を十分に聞くことになります。そして、キリストの体としての聖パウロのいだいていた教会の幻を聞くのです。その幻は2000年前と同様に、現代とも関係があります。
- Q1.「教会の書物としての聖書」という表現が意味していることは何ですか?
- Q2.「天地創造の話なんか、信じられない!」と批判する人に、あなたはどのように弁明しますか?
- Q3.ラムゼー大主教の指摘した重要なことは何だったのでしょうか?
- Q4.使徒のマタイは福音書を書かなかったのに、どうして「マタイによる福音書」と言われるのでしょうか?
- Q5.1世紀の特定の人々や共同体にあてた手紙を、現代人の私たちが聖書として読む意義はどこにあるのでしょうか?
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第16回のふりかえり
- Q1.について
教会の奉仕職は、洗礼のしるしを受けているすべての人によって担われるものです。ところが教会の歴史を顧みると、新約聖書のこの奉仕職理解をせず、按手された専門的な人たち(聖職者)に任せてしまっていました。1968年のランベス会議は、信徒の奉仕職が「世界に対する教会の全奉仕職の不可欠の部分」であると強調しました。教会の構成員の大部分は信徒であり、信徒は毎日、社会に向かって生活しているからです。
- 私は、神学校を出てすぐの頃、この考えを聞いたとき、「自分では働きたくない聖職が、嫌な仕事を信徒に押し付けようと考えているだけだ。」と批判したことがあります。きっとその時私は、給与をもらって働いている、という負い目があったのでしょう。
- しかし、本当は信徒から仕事を奪ってしまうことになってしまうんですね。聖職は信徒と競争するんじゃなくて、違った役割で協働するように努めなければなりませんね。
- Q2.について
教会が、空間的にも時間的にも広がりを持ったことが理由でしょう。広い地域は使徒たちだけでは担当できないし、年を経ると使徒たちも死んでゆくから、その仕事の代理や引継ぎをする人々が必要になったのです。
- Q3.について
教区の聖職たちの権威は、主教から来ており、それぞれの地方教会で、彼らが備えるべき奉仕職を本当に身につけているかどうか、主教はそれを確認しなければならないからです。
- 私は管理されることが嫌でした。まるで自分の欠点を意地悪そうに取り締まられている印象を持っていたのです。「ほっといてくれ。」と言いたい心境でした。しかし、最近になって、普段あまりやったことのない「結婚式」とか「起工式」などの司式をするようになると、「どうしたらいいんでしょうか。」と、こちらの方から主教に質問しなければならなくなりました。こんな形も主教の監督の下にあると言えるのではないか、と思うようになりました。
- Q4.について
初代教会では、執事は教会の財政や管理を委嘱されていました。病気や貧しい人の世話をするだけではなくて、礼拝でも中心的役割を負っていたようです。現在は執事のいる教会は少ないですが、初代教会には、なくてはならない存在だったのです。
- Q5.について
教会を構成する聖徒たちの賜物は多種多様ですが、それを見出し磨きをかけて訓練するために、聖職が存在する、ということでしょう。次の聖書の言葉がそれをよく表わしています。
- 「彼(キリスト)は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。」(口語訳エペソ4・11〜13)
- 日頃、私は、主日礼拝の司式・説教のこと考えるのが仕事の中心になっているんですが、それには、このような目的がある、ということを改めて認識したいと思いました。
- 次回から3回は「サクラメント(聖奠)」について学びます。
- 2001年4月3日
担当者 教育部長 司祭 小林史明
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