(25)この道に入りなさい

『その独り子、私たちの主イエス・キリストを信じます。』

ですから、人間は神様によって完全なものに造られましたが、床に落ちてしまった時計のように、罪によって不完全なものになってしまいました。人間は自分の失敗によって、幸せな状態から追放されてしまいました。そしてそこへ入る戸は閉ざされてしまったのです(創世記3章24節)。何千年もの間、旧約聖書の時代を通して、だれも天国には入れませんでした。だから、罪なんか大したことではない、なんて言えないでしょう。

しかし、どのような時も、神様は愛(Iヨハネ4章8節)でした。神様の造ったこの世界を愛し、男も女も少年も少女もみんな天国で神様と共に暮らしてほしい、と思い続けておられました。ですから、神様の独り子を、世を贖うために遣わされたのです(ヨハネ3章16節)。“贖う”というのは“買い取る”という意味です。それは質屋さんで、お金を借りるために預けていた品物を、お金を払って返してもらうようなものです。

子なる神様は、この世で人間としての生活をし、十字架の上で人間として死にました。そして、この世と天国の間の戸をもう一度開いたのです。彼は、この世を贖いました。この戸は二度と閉まりません。ある日、彼はヨハネ10章9節の言葉を言われました。聖書を開いて見てください。きっとわかるでしょう。そして、この絵を見てください。十字架のようなチョウツガイがあるでしょう。I・H・Sという文字が見えますね。これは教会の中でしばしば見るでしょう。英語のように思うかもしれませんが、ギリシャ語なんです。私たちの主イエスの名前の最初の三文字です。ギリシャ語では、イエースースと発音します。Hは、ギリシャ語ではEの長い音を表しています。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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