(27)伝令の天使の声を聞け

『主は聖霊によって宿り、おとめマリアから生まれ』

信経の第二の部分は、私たちの主とはどんな方か、そしてなぜこの世に来られたかを語っていました。この第三の部分は、彼がどのようにして来られたかを語ります。

主は、あなたや私やそしてすべての人と同じようにして、来られました。彼は、罪以外では、私たちと全く同じ生活を分かち合うことを望まれたからです。彼は、お母さんの胎内から生まれました。しかし、彼が来られた時、普通の人とはひとつだけ違った方法で来られたのです。彼には人間の父親はいません。彼は神様の力である聖霊によっておとめマリアのところに来ました(ルカ1章26〜38節)。聖ヨセフは、イエス様の父親ではありません。彼の保護者(マタイ2章13〜23節)であり、そして親切で、それまでにいないほどの無私の素晴らしい男の人でした。私たちの主は、幼いころ、聖ヨセフを育ての親として、誇りにして従いました(ルカ2章48〜51節)。ちょうど、素晴らしいクリスチャンの子供たちが彼らの両親を誇りにして、常に従うように―。このイエス様の誕生は、奇跡です。(“奇跡”というのは、何か驚くような、不思議なことです。)お父さんなしに、お母さんだけで生まれるのは奇跡以外にありません。世界の新しい出来事です。イエス様は原罪(24)なしに生まれました。彼のすべての生涯において、彼は常に完全な神様でした。それは、3月25日に天使のガブリエルが母のマリアに話しに来た時から始まり、それは今でも天国で続いています。彼は常に完全な人間でもありました。それは、彼が私たち不完全な罪人たちの救い主になるためには、罪や罪の痕跡があってはならなかったからです。

彼は、私たちの多くがそうであるように、貧しい赤ちゃんとして、12月25日、クリスマスの日に生まれました。(クリスマスというのは、クライスト〔キリスト〕のマス〔聖餐式〕つまり〔キリストの祭り〕ということです)。馬小屋の中で、マリアは彼を布にくるみました(ルカ2章7節)。そして飼い葉桶に寝かせたのです。

彼は、昔も今もイエスであり、神様であって、人なのです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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