(31)三時以後

『ボンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ』

私たちの主は聖金曜日の午後三時に亡くなりました(マタイ27章45〜50節)。主は、ご自身の自由意志で亡くなりました(ヨハネ19章30節)。これは、以前にご自身が言われていたことでした(ヨハネ10章17〜18節)。

死によって、肉体と霊魂は分かれます。肉体は死んで、葬られます。霊魂は死にませんから、それから出て、次の世界の生活に入ります(1)。

このことは、私たちの主についても同様です。主は、この世に来て、私たちと同じ生活をされました。午後三時に、主の霊魂は十字架にかけられた肉体から抜け出して、次の世界に入って行きました。ヨハネ19章38〜42節には、主の葬式の様子が語られています。夕方六時になる前に、主の友人の二人が十字架に登って釘を抜き、死体を地上に下ろしました。そして、体を洗い、“香料”をぬりました(ヨハネ19章40節)。そのあと、十字架の立てられたゴルゴタの丘から近くの庭園に運びました。そこには新しい墓がありましたが、それは主の友人アリマタヤのヨセフの所有する、岩をくり抜いて作ったものです。墓の戸は大きな丸い石で、入口の前に溝ができていました。作業が終わると友人たちでその石を溝に沿ってころがして、墓を閉めたのでしょう。聖なる人間、世界の救い主イエスの肉体は、死んで葬られました。墓の中に横たえられ、冷たくなって命のない肉体は、ひとりぼっちで、聖金曜日の夜から聖土曜日、そしてそれに続く復活日のだれも知らない早朝まで安置されていたのです。

マタイ27章62〜66節は、大変重要な箇所ですから、ぜひ読んでください。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会