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(37)備えよ、つねに
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- 『そこから主は生きている人と死んだ人とを審くために来られます。』
- 『そこから』というのはもちろん『天国』のことです。私たちの主の昇天日に天使たちは、主がこの世に帰って来られると言いました(使徒1章10〜11節)。これは、『第二の降臨』です。第一の降臨は、最初のクリスマスの日でした。この第二の降臨を再臨と呼んでいますが、私たちはこのことを特に十二月の四週間、降臨節の間に考えます。しかし、だれもそれが何時になるのか、今から何百万年も先なのか、来週なのかわかりません。ですから賢いクリスチャンは、それがいつになってもいいように用意しておくのです。
- 『第二の降臨』の時、この世は終わります。そして審判が行われます。その時には、かってこの世に生きていた人も、その時ちょうど生きている人も、みんな私たちの主によって、永遠の天国がふさわしいか、永遠の地獄がふさわしいかの審判を受けるのです。主は、完全な神様であり、完全な人間でもありますから、好き嫌いではなく、公正に、私たちへの愛によって審かれるでしょう。主は私たちの思い(Iコリント4章5節)や、言葉(マタイ12章36〜37節)や、行い(黙示録20章12〜13節)や、義務を果たさなかったこと(マタイ25章42〜43節)、私たちの全ての秘密、私たちがだれにも知られていないだろうと思っている罪や忘れてしまっている罪を審かれるでしょう。しかし、恐れることはありません。私たちは、ボーイスカウトの『備えよ、つねに』というモットーを忘れなければ大丈夫です。
- 地獄は、神様から離れて永遠にいる場所のことで、悪魔たちのものです(マタイ25章41節)。天国は神様と共に永遠にいる場所のことで、私たちみんなのものです(マタイ25章34節)。死んだなら、天国と地獄しかありません。いつの日にか、私たちはみんなそのどちらかに入らなければなりません。『備えよ、つねに』は、クリスチャンみんなの常識です。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
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