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(45)ただひとつの道
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- 『罪の赦し』
- 昔、ある王様やってはいけないことをしました。王様たちでも時々悪いことをするんです。そこである主教さんがそれを叱りました。たとえ王様であってもそんなことをする権利はないんだ、ということです。王様は平静さを失ってその主教さんを投獄してしまいました。そして内閣を召集して、どうするか意見を言わせました。「この潔白な聖職者を罰する最も重い方法を考えてほしい。」と王様が聞きました。「死ぬまで監獄に入れておいたらいい。」と総理大臣は言いました。「財産をぜんぶ没収してしまえ。」と大蔵大臣は言いました。国防大臣は「首つりの刑だ。」と言いました。しかし「だめだ。」と最も賢い大臣が言いました。「皆さんは全部間違っている。もし彼を監獄に入れ続けたら、祈りの時間をもっと与えることになる。彼の金を取り上げても、一文無しから没収するだけだ。彼はもう持ち物はぜんぶ人に与えてしまっている。もし殺したなら、彼を天国に送ることになる。彼にいちばん効果のある刑罰は、彼に罪を犯させることだ。」
- 彼の主張が正しかったのです。教会で、私たちは神様との交わりの中に入れられているのです(Iヨハネ1章3節)。罪はこの交わりを壊すことです(Iヨハネ1章6節)。世界でいちばん悪いものは罪です。だから、罪の赦しについて知ることは私たちにとって何より重要なことです。天国へ行く道は他にはありませんから。
- この特別な目的のためのサクラメントについては、あとであなたに説明します。今、私があなたに生涯にわたって覚えておいてもらいたいことは、あなたがたとえどんな罪を犯しても、神様はあなたを赦したいと思っておられ、そしてそれがおできになるということです。父なる神様の愛ほど大きなものはありません。十字架の上で子なる神様はその血を流して私たちのすべての罪の赦しをもたらしてくださったのです。聖霊なる神様は教会の中で罪の赦しを願うすべての人にそれを与えてくださいます(Iヨハネ1章7節)。私たちが赦されていないのは、私たちの側の問題であって、神様の失敗ではありません。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
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