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(49)道を見て歩くこと
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- 私は時々、大きな橋の上から、その下を通る船を眺めることがあります。欄干に体を乗り出してのんびり眺めるのが好きです。でも、もし欄干がなかったら臆病な私は橋を渡ることはできません。
- クリスチャンの生涯の道の両側には、欄干か壁みたいなものがあります。それが十戒なのです。これによって人間は、道に迷ったり、離れたりすることから守られています。この絵の中にある数字の4と6の意味は次のぺ一ジでお話ししましょう。
- 私が知らない町に行く時は、道路にある道しるべを見ます。クリスチャンの生涯の道にもやはり道しるべがあります。十戒は、欄干か壁であると同時に道しるべでもあるのです。
- これはクリスチャンの正しい道を守り、それを示します(詩編143編10節)。
- 心の目を持っていないクリスチャンはいません。すべてのクリスチャンは、良心という目があるので、道の両側の壁を見たり、道しるべを読むことができます。クリスチャンでない人も良心は持っているでしょう。もっともそれを捨てたい、と考えている人もいるでしょうが。十戒と良心があるので、私たちは正しい道を知ることができます。
- しかし、私たちがそれを守るか、壁を登って越えて行くか、もうひとつの道を見つけることに挑戦するか。それは私たちの自由意志(2)に任されています。そして、クリスチャンの道は平坦な道ではありません(マタイ7章13〜14節)。まっすぐな道は、狭い道です。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
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