(58)安全マッチ

第三の戒めは『あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない』です。これは、第二の戒めから自然に続くものです。もし私たちが内面的に“日常のすべて、あらゆることの中で第一に”心をこめて礼拝するのと同じくらい、外見的にも敬虔な体によって神様を礼拝するなら、私たちの発言は、神様が望んでおられるように常にクリスチャンらしいものになります。これも私たち神様から負わされている責任です(詩編141編3節)。

ある喋りすぎの男がいました。彼は、自分の軽率な言葉で他人が傷ついていることを知りました。そして、個人懺悔しました。そこで司祭はこのように助言しました。「明日、どこへ行く時でも、この羽根の入ったカバンを持って行きなさい。あなたが話すたびに、羽根のひとつを地面の上に置きなさい。そして夜、私の所に来てください。」その次の夜、男は空っぽになったカバンを持って帰ってきました。そこで司祭はこう言いました。「明日、行って羽根を集めなさい。」もちろん男はそれを見つけることはできませんでした。羽根はすでに全部吹き飛んでいたのです。

実は、私たちほとんどは、喋りすぎなのです。私たちはあらゆる種類の言葉を話します。良いものやあまり良くないもの、親切なものや不親切なもの。言葉は人を幸せにすることもあるし、逆に大きく長く尾を引く不幸を引き起こすこともあります。しかし、話さないわけにはいきません。言葉は一度話すと、羽根のように飛んで行きます。遠い所へ行って、私たちの所へはもどりません。聖ヤコブは、クリスチャンの語し方について、良いことを言っています(ヤコプ3章1〜12節)。

次では、クリスチャンの話し方についてもっと話しましょう。この節では、これだけは覚えていてください。ひとつの言葉が、害も加えるし、良いことも行う。喋る時にはマッチ箱のことをいつも思い出してください。聖ヤコプは、あなたの舌が火である、と言いました。あなたのすべての言葉を『安全マッチ』にしてください。多くの人があなたを祝福してくれるでしょうし、神様も当然そうでしょう。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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