(59)申し分のない言葉

第三の戒めが私たちに教えることは、私たちが神様の名を軽率に、あるいは悪口として使ってはいけない、ということです。〔どうしてかわかるでしょう。赤ちゃんはしぱしぱ聖人の名前によってクリスチャンになりますが、これは映画スターよりも素晴らしい名前です。しかし男の子は“イエス”とは付けられません。なぜならそれはとても聖なる名前だからです(ルカ1章49節)〕。裁判所で誓約する以外は、全ての誓いはこの戒めによって禁じられています(マタイ26章63〜64節)。

この戒めによって、ウソを言うことも禁じられています。人々がウソや誓いをする理由は、『恐れ』からだろうと言われています(マルコ14章70〜71節)。罰せられるか、笑われることを恐れているのです。

この戒めは、神様や教会やサクラメントや全ての聖なるものについての話し方の中で畏敬ということを教えます。賢い子供が「天国とは、人々が黙って話す所だ。」と言いました。あなたは騒ぐのが好きでしょうが、天国は、黙って話しができる所なのです。

要するに、この戒めは私たちすべてのクリスチャンに『話し方に気をつけるように』と告げているのです(マタイ12章36〜37節)。あるシスターが死んだ時、何人かのシスターたちが話していました。「彼女は良いシスターだった。彼女が間違ったことを言ったのを聞いたことがない。」こんな評価をあなたもしてもらえたらどんなにいいことでしょう。

まあ考えてみてください。ある日、あなたが天国に行くと、もう長い間会っていない人があなたに近づいて来て言いました。「私はあなたに『ありがとう』とずっと言いたかったんです。あなたのおかげで私はここにいるのです。私は、あなたのお話がいつも真実で、敬度なものであったから、あなたの親切な言葉にうたれて教会に通い始めたのです。だから、今ここにいられるのです。」もし、こう言われたら、うれしくありませんか。どうして、これがあなたの上に起こらないと言えるでしょうか。

さあ、良い言葉を話しましょう。あなたが生まれたばかりの時、みんながあなたをあやそうとして微笑んでいる間、泣いていたでしょう。しかし、あなたが死んだ時、あなたの言葉についての感謝の言葉をみんなが泣きながら話している間、あなたは微笑むのです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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