(67)先生へのプレゼント

第六の戒めは『あなたは殺してはならない』です。そして、隣人に対する私たちの義務には、言葉や行為でだれも傷つけない、悪意や憎しみを私の心の中に抱かない、ということが含まれています。

殺人は、他人の命を奪うことです。自殺は自分自身の命を奪うことです。両者とも禁じられています。なぜならすべての命は神様から与えられているからです。神様は人間をお造りになった時、すべての生き物の統治権(支配権)を人間に与えられました(創世記1章26節)。ただ、人間の命についてだけは、統治権を与えておられません。ですから、カイン ―― 最初の殺人者は、すぐに発見されました(創世記4章10節)。しかしながら『殺人に対して罰を与える』という意味で、人間の命を奪うことは認められています(創世記9章6節)。そして、自分や他人の命を守ることも認められています。しかし、自殺を許可する正当な理由はありません。

この戒めは、間違った怒りも禁じています。もちろん『正しい怒り』というのもあります(ヨハネ2章13〜16節)。しかし、ほとんどの私たちの怒りは、間違っています。悪意や憎しみとは、『他人を害することを望む』という意味です。行為でなくても、心のうちで、思いによって殺人者になっています。心の思いは、殺人が発生する種になります(創世記4章3〜8節)。この絵の少年は、学校で常に問題を起こしています。先生を憎んでいます。もちろん、決してわずかな青酸も薬局から買うようなことはしませんし、先生のお茶に毒を入れるようなこともしません。しかし、彼はよく言うのです。「先生を殺してやりたい」「吊るし首にしてやりたい」・・・。殺人とどこが違いますか。

国家は人間によって構成されています。もし男や女、少年や少女が憎まなかったら、悪意を心に持たなかったら、戦争は起こりません(エフェソ4章31節)。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会