(71)用語の不正確さ

あなたは行いについて(70)と同様に、言葉についてもあなたの仲間に責任を負っています。第九の戒めは、『あなたは偽証してはならない』です。そして、隣人に対する私たちの義務は、悪い会話、ウソ、中傷から私たちの舌を清く保つことです。

『偽証』というのは、ウソを公的に出版したり、掲示したりすることです。『中傷』というのは、個人的にウソを言うことです。これは特に残酷なものです。なぜなら、それは隠れて大きな害を与えることになるからです(58)。そんなことをすると神様に嫌われます(詩編101編5節)。もし私が、新聞社にあなたのことを泥棒だ、と手紙に書いたら、その手紙は新聞の中に印刷されるでしょう。あなたは警察に行き、私は裁判所に呼び出されるでしょう。そして、私の言葉を立証できなければ、ウソを言ったということになり、『名誉毀損罪』で罰せられるはずです。もし、私があなたについて人々につぶやいて、「私は彼を信じられない。彼は手癖が悪いんだから」と、あなたを中傷し、人々が私の言うことを信じたなら、あなたは、大きな損害を受けることになります。ウィルソン神父が働いていた戦争中のイギリスでは、『軽はずみな会話は、命を失わせる』という貼り神があちこちにあったそうです。間違った情報が引き起こす害については、あなたもよく知っているでしょう。でも神父さんはその紙を手にした時、『残酷な会話は、心を傷つける』と書き直したい気持ちになったそうです。

すべてのウソは、禁じられています(59)(歳言12章22節、黙示録21章8節)。ですから、たとえ他人の失敗を語らなければならない場合にも、あなたは誇張や告げ口や陰口をしないように心がけておかなけれぱなりません。他人に対して、言葉について正しくあってください。『だれかが私に語ったうわさ』というのは、十分な根拠にはなりません。

『悪魔』という言葉の意味は『中傷する者』ということです。会話というのは先入観を伴って始まります。ある日、私たちの主は弟子たちと村に入って行かれました。通りで彼らは、群衆が路上に横たわっているものを取り囲んでいるのを見ました。死んだ犬です。

「何と恐ろしい光景だ」と老人が言います。「匂うねえ」と別の人。「血と泥だらけだ」と第三の人は非難。「汚れた雑種犬だ」と第四の人は叫ぶ。「しかし」と主イエスが口をはさまれました。そして「何と美しい白い歯をしているんだろう」と言われました。主はいつもあなたや私、すべての人の良い所を探しておられます。他人の良い所を考えましょう。そして良いことを話しましょう。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会