(78)愛する人への手紙

あなたはお祈りする時、本を使いますか。お祈りすることの助けとなる多くの本があります。それらは決して高価なものではありません。私は祈る時、時々祈りの本を使っています。祈りについての新鮮な考えを得るためにも、時々本を使うのはいいことです。もし、あなたがそれをまだ知らないのなら、使徒信経、主の祈り、天使祝詞、アニマ・クリスティ、聖体降福式の時の賛美、そして個人繊悔の時の本などから、祈りの心の持ち方を学んでください。しかし、これは一般的なルールとしてであって、あなたは自分自身で決断して、使ってもいいし、使わなくてもいいのです。大切なことは、あなたが祈りの中で、ベストを尽くして神様に精神と心を向けることです(77)。

あなたはお父さんやお母さんに話す時、辞書を使ったり、長い不自然な言葉を使ったりしないでしょう。思いつくとおりに簡単な言葉で話すはずです。神様に対しても同じ方法でいいのです。私たちの天のお父さまはあなたがお祈りする時、あなたの理解できないような本からの偉大な長い言葉によってではなく、いつも使っている言葉で話しかけてほしいのです。本の中の祈りは、どんなに素晴らしい祈りも他の人の祈りであって、あなた自身のものではありませんから。あなたは、簡単な言葉で、あなたを愛し理解してくださる方に安心して語ってください。

この絵は、小さな女の子が手紙を書いた時のものです。郵便屋さんはそれを配達できませんでした。そこで、『住所不十分』のスタンプを押して、彼女の所に返されてきたのです。しかし、彼女は祈り方を知っていました。私は、イエス様が彼女のメッセージを受け取ったことを全く疑いません。すべての良い祈りは簡単で、自然なものです。それらはすべてすばらしいものです。でも、主の祈りは、それよりもっと簡単です。

昔、小さな少年がいました。お母さんと一緒でしたが、荒れ野に取り残されました。彼らには水がありません。お母さんは希望を失いました。しかし、少年はお祈りをしました。(神様は彼のお祈りを聞き届けられました。)何が起こったか、読んでみたらどうですか。(創世記21章11〜19節)。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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