(86)すべての人の父

『私たちの父』:すべてのものの父である神はひとり(エフェソ4草6節)。

この模範的な祈りは、呼びかける相手の名前で始まります(日本語の場合は『天におられる』が入れ替わって先に来ていますが)。神様は他にも名前を持っておられます。主、王、造り主、これらは威厳と畏敬の称号です。しかし“父”は、彼の子供たちを愛し、守ります。子供たちに必要なものはすべて与えます。そして、洗礼によって私たちはみんな神様の子供になりました(7)(ガラテヤ3章26〜27節)。ヨハネによる福音書では、『神様は父である』ということが、70回以上言われています。そして、新約聖書の他のところでも、しばしばそのことが書かれています。しかし、イエス様が来られる前のことを書いた旧約聖書では、まれにしかそのことは触れられていません。そこでは、神様はご自身のことを“父”というふうには表現なさいませんでした。イエス様が来られてから、人々は神様のことを“愛する父”と考えるようになったのです。あなたがお祈りを始める時はいつでも、自分が神様の子供であることを思い出してください。神様はあなたをたったひとりの子供のように貴重な存在として愛しておられます(7)。

しかし、神様は“私たち”の父です。あなただけとか、私だけの父ではありません。すべての良い祈りは、利己的なものではありません。この模範的な祈りは、それらの祈りの中で最も利己的でない祈りです。ウィルソン神父が働いておられた頃、漁世界の人口は十六億人と言われていました。(現在は、五十億人を越えていますね。まあこの絵は、ウィルソン神父のものを借りているので我慢してください。)神様は、ある人が、どこに住んでいようと、良い人であろうと悪い人であろうと、たとえ異教徒でキリスト教のことを聞いたことがなくても、その人を含めて他の全ての人の父でもあります。だから、あなたはひとりで祈っているわけではありません。ほかの何十億もの兄弟姉妹と共に、神様の家族(Iコリント12章27節)として、完全な祈りの型に従って祈っているのです。

ゆっくりと慎重にこの呼びかけをしてください。世界中のすべての人の父を意味することを頭に置いて呼びかけてください。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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