|
(111)サセックスの冒険
|
- ですから、この世の生活の全ての場面で、人々が必要とするものを自由に身近で差し出せる、恵みの井戸であるサクラメントが七つあります。それら各々はしるしであり、恵みの方法であり、神様が確かに与えられる恵みの約束です。しかし、そのうち二つはすべてのクリスチャンに必要な、他と区別されたものです。それについては、最後の第6章で話します。さあ、私たちは五つの小さなサクラメントについてまず学びましょう。それらの内の二つはすぐにあなたにも必要になるものですから。そして、他のものはもっとあとになるでしょう。私は個人懺悔から始めます。そして、(45)と(96)で言った私の約束を守ってください。
- あなたは洗礼を受けました。原罪は洗礼盤の聖水で洗われました(7)。あなたは汚れのない人生のスタートを切りました。しかし、それは少し前のことです。その時から、あなたの良心(2)は、あなたが新しい人生やきれいな霊魂を汚していることを、何度も告げてきました。今も告げているでしょう。あなたは自由意志と選択(2)によって罪を犯しています。罪を犯したのはあなただけではなく、みんなそうなのです。この罪は私たちを天国から切り離してしまいます(Iヨハネ1章6節、黙示録21章27節)。しかし、あなたはもう洗礼は受けられません。洗礼、堅信、そして聖職按手は生涯で一度だけです。あなたは良心に照らして、霊魂を罪の汚れから清くしたい、神様に赦されたい、あなたが赦されていることを確信したい、と思うことでしょう。
- ウィルソン神父は、南イングランドのサセックスの学校で(91)幸福な少年でした。両親が彼をその学校に入れてくれて、そこでキリスト教を学んだのですが、彼が堅信を受ける前、授業で個人懺悔のサクラメントについての説明を聞いたそうです。そして、自由意志で第一回目の大きな冒険をしました。彼の第一回目の免罪(神様による赦し)のあと、彼がどんなに幸福だったか、老人になっても覚えていたそうです。そして、神父さんは私たちにも幸福になってほしい、と言っていました。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
|