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(112)悔い改め
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- 使徒信経の中で、あなたは『私は天地の造り主』から、『永遠の命を信じます』まで唱えています。この意味を続けると、『主が、私たちのために死んでくださったので、私は今ここで罪の赦しが得られます。そして、罪によって断絶していた神様や聖徒たちとの交わりの中に戻って行けることを信じます』と言っているのです。あなたにはそのように言う権利があります。神様はこの世を愛するあまり、つまらないが救われたいと望むすべての人間を助けるために、神様の唯一の御子をこの世に送られました(ローマ5章8〜10節)。その御子、私たちの主イエス・キリストは言われました。「私を見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネ14章9節)と。そしてたとえ話(ルカ15章11〜32節)や教えの中(ルカ23章42〜43節)で、神様の愛はどんな罪よりもずっと大きいことを私たちに示されました。私たちがどんな間違いをしていても、神様はそれを赦そうと望まれ、それがおできになるのです(45)。
- しかし、イエス様がこの世に来られるよりもっと前の時代から、神様は人々が赦されるために、神様のもとに帰ることを要求しておられました(申命記4章29〜31節)。サクラメントは、私たちの意志に逆らって働く魔法のようなものではありません。あなたも私もまず罪を悔いることが必要です。神様を見失わせるような罪の行為をやめなければなりません。間違いに背を向けなければなりません。この絵のようにです。そして他の道を行くのです。これを一言で言うと『悔い改め』です。
- 洗礼者聖ヨハネの初めの言葉は「悔い改めよ」(マタイ3章2節)でした。私たちの主の初めの説教も「悔い改めよ」(マタイ4章17節)でした。聖霊降臨の日に「私たちはどうしたらいいのでしょう」と群衆が質問したのに対して聖ペトロが言った言葉も「悔い改めよ」(使徒2章38節)でした。
- 悔い改めは、三つの部分からできています。絵の人も正しい道に帰るまでに、三段の階段を登らなければなりません。次から、それを話しましょう。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
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