(117)基本方針

私が前頁で言ったことを続けると、『思い出す』ということは大切です。あなたの個人懺悔は神様とあなたの間だけのことです。その中では他のどんな人の名前も言うことは許されません。もしあなたが五百円盗んだなら、それが〔お母さんのものだった〕と言う必要はありません。家庭のだれかのものです。もしあなたのお姉さんがあなたのことをうるさく呼び、あなたが平静さを失って彼女の髪を引っ張ったなら、あなたは怒って誰かを傷つけたことを個人懺悔します。あなたの個人懺悔は、だれとも関係しません。

同じように、司祭があなたの個人懺悔のあとで何かあなたにアドバイスしたなら、他人にはそれを言ってはいけないのです。私が言ったように、司祭は封印を破ることは許されていませんから。

司祭に、おそらくあなたは汚い罪も告げなければならないでしょう。司祭は個人懺悔に行くのがどんなに困難か知っています。彼はあなたをつまらない人間だ、と思うでしょうか。いいえ、とんでもない。彼はただあなたの勇気と真の改心を神様に感謝するだけです。

あなたは神様に対して個人懺悔するのです。神様の免罪と赦しをあなたは受けます。司祭の赦しではありません。司祭は神様の選んだ代理人です。司祭按手式について、あなたの祈祷書にこんなお祈りが載っています。

『人々を守り、養い、主のみ名によって罪の赦しを宣言し』

罪の赦しの宣言は、私たちの主の言葉に根拠を置いています(ヨハネ20章23節)。各司祭は、聖ペトロのように(マタイ16章19節)赦しの鍵を預かっています。しかし、それは神様の赦しです。そして、それが行使できるのは主だけです(マルコ2章1〜12節)。この世界が続く限り、人の子は地上で罪の赦しの力を持っています(マルコ2章10節)。永久に司祭職がなくなることはありません。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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