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(128)私の小さな灰色の家
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- 静かで清楚な田舎:木と鳥と花、庭には噴水のある家。それに比べて、私たちの町はどうですか。ちっとも静かではないし、きれいなものもないし、木もなく、鳥もいません。しかし、そんなことは問題ではありません。あなたの家庭はどうですか。そこでは、あなたは家族にいつも暖かく迎えられ、快適さと食物と保護があります。そこであなたは思い通り生活し、常に理解され、主人公としてふるまい、みんなあなたのことを考えてくれます。英国の古い歌に、『家はどいい所はない』というのがありましたが、それは正しいですね。あなたがそこに居られる間は、十分それを楽しんでください。あなたが子供の頃に過ごし、両親の愛と保護のあった小さな家は、いつの日にか、もはやその時のままではなくなる日がきます。あなた自身がその責任を負わなければならない時が来るのです。
- 私たちの主は、この地上に三十三年間、見える姿で生活されました。たぶん、お母さんとナザレの大工さんと主の三人、小さな小屋で家庭生活を過ごしたことでしょう。お母さんがその子にお祈りのしかたを教えているところを考えてみてください。主が学校へ行ったり、夕食頃に家へ帰ってくる様子。鳥や野の花を愛するように成長したこと。〔その後、彼がどのように弟子たちに話したか、覚えていますか。(マタイ6章26〜29節)〕聖ヨセフか死んだあと、主が大工の店で村人の椅子やテーブルを直していること。ナザレには、今でも井戸が一つだけあります。そのお母さんも主も、そこへ毎日水を汲みに行ったことでしょう。お母さんのために初めて大きなバケツにいっぱい水を運んでいる日のことを思い描いてみてください。ちょうどあなたがお母さんに頼まれて買い物袋を下げて運んでいるみたいなものでしょう。主が私たちと同じように家庭を愛しておられたことを知ることはよいことです(ルカ2章51〜52節)。人間性は、家族と家庭でできあがります。
- ですから、自然と次のサクラメントは、聖婚式になります。
- *祈祷書245ページには聖ヨセフ(3月19日)の特祷等が載りました。参照ください。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
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