(137)聖職をつくる

聖職按手の外側のしるしは、堅信式に似ていて、祈りと主教の按手によります。(主教按手の場合は少なくとも三人以上の主教によります。)目に見えるしるしは常に初代の教会から同じです(使徒13章1〜3節)。教会は“普遍的”です(40)。外側の証拠と保証が示す内側の目に見えない部分は、聖なる仕事をするための聖霊なる神様の賜物です(ヨハネ20章22〜23節)。ただ祝福された聖三位一体のこの第三位の人格の力によってのみ、執事、司祭、そして主教はその困難な仕事ができるのです。彼らは単なる道具です。彼らを通して神様が働くのです。そして本当によい執事、司祭、主教は、このことを決して忘れません。

たとえ牧師がこの絵のような人であっても、彼らは“ Reverend ”なのです。クリスチャンは彼らを尊敬することが義務です。彼らの携わっている仕事のゆえに、です(Iテサロニケ5章12〜13節)。たとえば、英国では男性や少年が通りで牧師に出会うと自分の帽子を牧師の方に向けて手を添える動作をするのは、牧師に対する尊敬のしるしです。陸軍将校が敬礼されるのと同じです。また、クリスチャンは牧師の教えを聴くこと、そしてその指導に従うことも義務です。神様は牧師を通して話し、教えるからです(ルカ10章16節)。良い教会は、司祭を大切にします。彼に大きなものを期待しています。毎日の祈りの中で彼のことを覚えます。これらがどれくらい彼を助けることになるかわかりません。

周りの人々があなたの失敗や過失を見つけてやろうと常に批判的に監視している、そんな中にあなたが住んでいなければならないとしたら、孤独でやりきれなくなるでしょう。しかし、もしあなたの失敗や過失にもかかわらず、あなたはあなたの全力を出して神様に仕えている、ということをわかっていてくれる人がいて、あなたに親切に語り、あなたのことを多めに見てくれて、祈ってくれる人がいることを知ったなら、そこで生活することは、あまりむずかしいことではないでしょう。私はあなたがそのように司祭を助ける人になってくれたなら感謝です。そうすれば、よい司祭になるのもあまりむずかしいことではなくなります。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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