(141)また逢う日まで

しかし、このたびは、あなたのお母さんがこの世で良くなることは神様のみ心ではありませんでした。彼女の働く日々は終わり、休息の時に入りました。

あなたは力いっぱい彼女に尽くしました。司祭は彼女に聖油と聖餐を与えました。あなたは彼女のベッドのかたわらに立ち、見守り、祈ります。(次のぺ一ジには、あなたの祈ったらいい祈りがあります。)昔、彼女が洗礼を受けて教会に受け入れられた時、彼女の額に十字架のしるしがされて、彼女の教父母を通して彼女は「すべてこれを確かに信じます。」と言いました。今、同じしるしが塗油によってしるされています。彼女は、その全生涯にわたって良いクリスチャンであろうと努力してきました。彼女のモットーは、英国空軍のそれと同じ『苦難を通って星へ』でした。あなたが他のどんな人よりも愛したその敬愛する人の顔を見てください。それは、あなたが生まれた時、最初に見た顔です。その時、この人は愛に満ちてあなたを見守っていました。この愛以上の愛は、この地上にはありません。今、その人の最後の疲れた顔がそこにはあります。司祭はゆっくりと、もし彼女が聞ける場合ははっきりと、地上の教会がその人を“死を越えた教会”に送る、最も偉大な祈りをささげます。そして、彼女は旅立ちました。彼女の死ぬことのない不滅の霊魂が、彼女の肉体のテントを出たのです(1)。彼女はもはやこの世にはいません。

あなたは泣きます。彼女を失った、もっとも痛ましく悲しい思いで何日も何週間も泣くことでしょう。この地上での生活は、お母さんが行ってからはもう同じではありません。しかし、あなたはクリスチャンです。そして彼女もそうです。あなたはあまり悲しむべきではありません(Iテサロニケ4章13〜14節)。それは“さよなら”ではなく、“オールヴォワール”です。(フランス語で“私たちがまた逢う日まで”という意味。)その時には、死の反対側の天国で、もはや別れも痛みも涙もありません(46,47)。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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