(146)追い立て命令

問 :洗礼の内側の霊的恵みは何ですか。
答 :罪に死に、そして義に新しく生きることです。罪の状態で自然に生まれた者、罰を受けることになっている者が、これによって、恵みの子になるのです。
                     (同)

洗礼は死だけではなく(145)、誕生でもあります。洗礼盤で、私たちは再び生まれ(ヨハネ3章3〜5節)、“○○家の赤ちゃん”ではなく、神様の家族 ― この世と煉獄と天国の(41〜43)聖なる普遍的教会の一員にされたのです。私たちの主は、すべての人のために死にました。ですからすべてのクリスチャンは洗礼によって“罪に死んだ者”とされたのです。そして、主はすべての人の援助のための死から再び立ちあがられたので、私たちも洗礼盤の所で“義の新しい誕生”にあずかったのです。キリストが十字架と復活を通して成し遂げられた救いの道は、洗礼を受ける人に与えられました。こうして私たちは、“恵みの子”、“神を喜ばせる者”(詩編149編4節)、“主に従う力を持っている者”(ヨハネ15章5節)とされたのです。もちろん洗礼を受けた者が“恵みの子”だからと言って、洗礼を受けていない赤ちゃんに対して神様が怒りを持っておられる、というのではありません。しかし、神様は常に罪を怒っておられます。

すべての人は、自分の誕生日を知っています。クリスチャンは、洗礼を受けた日も覚えていなけれぱなりません。神様にそのことを感謝し、できればその日の聖餐式に行ってください。

時々、人々は「洗礼を受けたって、何も変わりはないのでそれには意味がない。」と言います。しかし、それはサクラメントの失敗ではありません。教父母を通して、あなたは厳格な約束〔はしごのR.B.O.(9)〕をしました。そして堅信式で同じ約束を自分の責任でいたしました〔はしごにあなたの名札を付けたでしょう(124)〕。あなたが、たとえどんな家に住んでいても、その家に一人のクリスチャンがいるなら、すべての悪はその家から“追い立て命令”されています。なぜなら、洗礼式で、私たちは『私たちの救い主キリストの模範に従って生きる』という、私たちにとって第一の大きな仕事を与えられているのですから。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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