(149)二階の広間

主は二千年前に聖地におられただけではなく、現代の私たちの町にもおられます。「聖餐は私自身だ。」と主は言われます。前へ一ジの勉強はそれで終わっていました。しかし、これは本当でしょうか。もしそうなら、どのようにしてそうなるのでしょうか。

まず、どのようにして聖餐式が始まったのか、見てみましょう。

聖週の木曜日の夜、私たちの主と十二弟子は(イスカリオテのユダを含めて)エルサレムにいました。この時は敵に囲まれていましたが、聖マルコの父の家は安全でした。この時代、ほとんどの家は平らな屋根で、外側に階段がありました。エルサレム市内の家は一階建てか二階建てがほとんどでしたが、この家の場合は二階建てでした。二階の広間(ルカ22章7〜12節)は、家の中で最高の場所です。マルコの父はここを主にお貸ししました。いちばん条件のいい部屋だったからです。家の一階に入らないで、邪魔者に見られることなく、直接外からそこにたどり着けました。おそらく、その家はこんな絵のようだったのでしょう。そして、なつめやしの木が暑い聖地の太陽から家を守るように生えていたことでしょう。

その小さな広間(おそらく5メートル四方)で、十三人は過越祭の食事をしていました〔申命記16章1節(154)〕。私たちの主は十二人の足を洗い、どうしてこのようなしもべの行為をご自分がしているのかを話されました(ヨハネ13章2〜17節)。主は彼らに“新しい掟”を与えられたのです。これは今の私たちクリスチャンにも与えられたものです(ヨハネ13章34〜35節)。この時ユダの心に悪魔が入って、ユダはその部屋から出て行きました(ヨハネ13章2節)。平らな屋根を横切って下に降り、満月に輝く通りをぬけ、主を銀三十枚で売るために出かけたのです。

私たちの主は逮捕されようとしています。再び月が昇る前に、彼は死ぬでしょう。そして十二人の弟子は悲しみの中にいることでしょう。すべての時代を通して、彼を愛している人々、彼を必要としている人々が聖餐式にやって来ます。私たちが主とともにいて、主が私たちと共にここに今もおられることを確信するためです。

十一人のために、そして主を愛するすべての人のために、聖金曜日が明ける前に、主は二階の広間の中で、聖餐式を制定されました。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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