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(150)テーブルの十三人
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- 前ペ一ジからの続きです。最後の晩餐の時、テーブルはこのように設置されていたでしょう。それは低いテーブルで、高さはほんの60センチくらいでした。その当時の人は食事の時には椅子に座らず、ソファーに横になっていました。体を左側に傾けて、左手で支える恰好です。(右手で食べられるようにするためです。)彼らは頭をテーブルのいちばん近くにして、足は後ろにしていました(ルカ7章36節〜38節が説明しています)。テーブルの端にはソファーがありません。そして布が掛けられていました。いろんな食べ物がそこに用意されていたのです。
- 聖ヨハネは、主の横に居て、右側だったでしょう。そうしないと彼は胸に寄り掛かれないでしょうから(ヨハネ13章23節)。主の左側はイスカリオテのユダだったでしょう(マタイ26章20〜25節)。ユダは、あえて「自分が裏切り者か。」と問いました。すると主は「そうだ。」と言われましたが、だれもそれを聞いていないようです。聖ペトロは聖ヨハネの反対側です(ヨハネ13章24節)。となりに居たのでは彼には合図ができなかったからです。しかし、あとの九人がどんな席順だったかはわかりません。
- 厳粛な時が過ぎました。『彼らは食べた』と聖マルは書きました(マルコ14章22〜24節)。『イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流すわたしの血、契約の血である。」』杯(陶器ではありません。ティーカップのような、しかし金属の把手のついたものです。)の中は、ぶどう酒でした。これは“新しい契約”です。クリスチャンは、過越祭を守りません。旧い契約は過ぎて、新しい契約が始まったのです。
- このようにして、聖木曜日の夜に、私たちの主の制定された“主の晩餐”が始まったのです。聖餐は、“多くの人のため”のものですから、主はもっとも一般的な材料であるパンとぶどう酒を使われました。そして、主はもっとも簡単な言葉で話されました。聖餐の中に主がおられることを信じることは、私たちにはむずかしいことではありません。神様を信じるためには、特別に頭が良くなる必要はないのです。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
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