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(157)荷車の上の世界
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- 聖餐式の目的(156)のもう二つは懺悔と祈りです。
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B.懺悔(Iヨハネ2章2節)。聖餐式の中で、体は一度裂かれ、血は一度流されました。キリストの体と血がすべての人類の罪のための完全な犠牲になったように、聖餐式の中で、あなた自身もあなたのすべてを献げるようにするのです。『神様、私は個人懺悔に行き、罪の赦しをいただきます。しかし、私はそれでも罪人です。私たちのために死んでくださった主によって、私をお赦しください。私たちすべてをお赦しください。そして今も、天国でもここでもイエス様は私たちの救い主です。』(マタイ1章21節)〔二人が神殿へ行きました。それについての話を読んでください(ルカ18章9〜14節)。〕
- C.祈り。聖餐式は、あなた自身と他者のために祈る大切な時間です。すべての良い祈りは“私たちの主イエス・キリストによって”完結します。そして、真実に現臨するキリストご自身のこの完全な犠牲と一致する祈り以上のものはありません。あなた自身のために祈ってください。また他者のために祈ってください。あなたの知る病気の人、悲しむ人、試みられている人、罪の中にある人、神様との交わりを失った人、祭壇の司祭、父、母、友人、あなたの知らない人、すべて地上にある教会などです。子供の力であってもすべての世界全体を聖餐式の中で、神様に支え挙げることができます。そして、あなたの祈りの中で、祈りの必要な死んだ人のことも忘れないようにしてください。おそらく彼ら自身は祈れないでしょうから。聖餐式で献げる祈りほど強いものはありません。
- 特に第1のもの(賛美)は常に献げていなければなりません。
- (H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)
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