(158)聖書と祈祷書

問 :主の晩餐の外側のしるしは何ですか。
答 :パンとぶどう酒です。それは主が受けるように命じられたものです。
問 :内側部分、しるしが表わしているものは何ですか。
答 :キリストの体と血です。それは主の晩餐の中で、信仰によって真実に受けられるものです。
                     (同)

次に聖書と祈祷書について話しましょう。この二つが、どちらも主の現臨についてはっきり語っています。学ぶのに便利なように、その箇所をあげておきます。

1.聖書(a)私たちの主ご自身の言葉『これは私の体、これは私の血(マタイ26章26,28節)。それは決してただあなたに思い出させるものでも、表すものでも、代わりになるものでもなく、簡潔で直接的な宣言です。(b)おそらく聖餐式の制定についてのいちばん早い時期の説明は、パウロによります(Iコリント11章23〜27節)。使徒がこれを信じていたという事実がなければ、この部分とIコリント10章16節を読むことはできません。

2.祈祷書(a)教会問答の問いと答え。(b)聖餐式のいくつかの文。(英国の祈祷書の第3の勧告には、こんな言葉があります。“だから霊的にキリストの肉を食べ、彼の血を飲みます。そうして私たちはキリストの内に住み、キリストは私たちの内に住まれます。私たちはキリストにあって、キリストと共にひとつです。”)近づきの祈り― 陪餐の直前、“御子イエス・キリストの肉を食べその血を飲み。”聖別の祈り― “わたしたちのためにみ子の尊い体と血にしてください、等。”陪餐のことば― “あなたのために与えられた主イエス・キリストの体、あなたのために流された主イエス・キリストの血”

ですから、あなたがこれらクリスチャンの主要な証言の教科書を読んで、知っておくならば、だれがどんなところで反対のことをあなたに言っても、対処できるでしょう。聖餐式がどこで行われても、主はそこにおられます。聖書は神様の言葉であり、そして『この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。』(黙示録22章18〜19節)のです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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