(159)Cm(センチ)の問題

問 :私たちが、聖餐に与かる者としてそれから得る恵みは何ですか。
答 :私たちの肉体がパンとぶどう酒で強められて新しくされるように、キリストの体と血によって私たちの霊魂が強められて新たにされることです。
                     (同)

祭壇のサクラメントは、主を私たちに近づけること(152)だけでなく、わたしたちが神様に犠牲を献げることでもあります(153)。そしてまた、私たちが主を私たち自身の中に受けることをも意味します。ですから、主と私たちはお互いに(ヨハネ6章56節)一致するのです。それは、聖餐に与かる者が、たったひとりで三つの古い敵に対して戦うのではない、ということです(10,11,12)。ひとりでこの世の生活の困難さ、失望、悲しみ、試み、痛みのすべてにもがくのでもないし、ひとりで死ぬのでもありません。そうではなくて、私たちの主と共に戦うのです。このことは、私たちの生活をすばらしいものにします(ヨハネ6章54〜57節)(詩編23編)。

私たちは、祈祷書の教会問答の最後の問いと答えに入ってきました。これらの問いと答えを、この町から天国の生活へ行くための階段と思ってください。すべての階段(問いと答え)は重要です。階段を踏み外すと何にもなりません。高く登るほどそれらは重要になってきます。頂上に近くなるからです。これら最後の二つのものは、他のすべての人々も導かれて来たものです。私たちは聖餐に与かる者になるために生まれてきました。天国に着くまで私たちの中に起こることで、聖餐を受けることほどすばらしく、天国に似たものはありません。

祭壇で、あなたや私は“頂上”に近づいています。
以前、ある画家が娘の誕生日に彼女の絵を作成しましたが、娘の頭上に天使を描きました。彼はこう言いました。「天国と地上、それはこんなもんだ。天国は、確かにおまえの20センチ上から始まっている。」この町は薄汚く、天国にあまり似ていないように見えるかもしれません。しかし、天国は私たちの教会の祭壇から30センチも離れていません。聖餐式があるところには、神様がおられるからです(Iコリント1O章16節)。そして、天国 に神様はおられるのです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会