(168)長い目的

私たちは祈祷書のカテキズムの最後に来ました。
しかし、卒業ではありません。まだ同じ大切な目的が続いています。あなたがたとえどこに行こうと、あなたは、この世で神様を知り、愛し、そして、仕えます。その結果、神様との天国での永遠の幸福が与えられます(2)。

この最後の絵は、ウィルソン神父が1925年から見つづけてきた書斎の窓からの風景です。窓と言えば、こんな話があります。二人の男が刑務所の格子窓越しに外を見ました。ひとりはぬかるみを見ました。もうひとりは星を見ました。

ある意味で、あなたの永遠の霊魂がいつかは朽ち果てるテントである肉体(1)の中にいるのは、刑務所に入れられているようなものです。キリスト教信仰のすべての目的(恵み、信経、サクラメント、祈り、聖徒の交わり、聖餐など)は、全生涯を通して、私たちに見上げるのを可能にさせることです。下を向くことではありません。神様や神様のもの、神の民を見上げて、来たるべき都を探し求める信仰(ヘブライ13章14節)を持つことです。確かに、“あなたは神様から来て、神様に属し、神様に行きます”(8)。下ではありません。ぬかるみと罪ではないのです。

『さようなら(Good bye)、親愛なる人々(dear)(7)』。それは『神様があなたと共におられますように(God be with you)』という意味です。あなたが、たとえ辛く暗い悲しい日々にあっても、楽しく明るい幸せな日々と同様に、神様を常に身近に感じられますように、そして、あなたのために与えられたこの世の日々が終わる時は、刑務所のドアを開いて、永遠の霊魂である本当のあなたは自由になって、神様の御顔を仰ぎ、御姿を拝して満ち足りますように(詩編17編15節)。
私があなたに教えてきたことは、いつでもどこでも役に立つと思います。
あなたに神様の祝福がありますように。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会