聖書の人物

(51)

フィリポとナタナエル(ヨハネ福音書より)

『その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。』(ヨハネ1・43〜46)

ペトロと同郷人であったフィリポも、かなり初期においてイエスに呼びかけられ、その弟子となったひとりである。彼は友人のナタナエル(マルコ3・18のバルトロマイと同じ人物と思われる)に、イエスのすばらしさについて語ったが、ナタナエルは、「ナザレのような山里からそんな人が出るはずがない」といって無視しようとする。それに対して、フィリポは言った。「来て、見なさい」と。

ナタナエルはフィリポに会う前、「いちじくの木の下」にいた(ヨハネ1・48)。当時ユダヤ教の教師たちは、いちじくやオリーブの木の下が律法を学ぶためのよい場所であると考えていたという。とすると、「いちじくの木の下にいた」ナタナエルのフィリポに対するすげない返答は、伝統的な神学からくる彼のメシヤ観であったと考えられる。「来て、見なさい」。このフィリポの言葉は、いつの時代にも見られる保守的な神学思想がおちいり易い固定的偏見と独断を打破し、人間を現実に出会わせようとする呼びかけであった。この端的な言葉にうながされて、ナタナエルは立って歩み、フィリポに伴われてイエスのもとに来た。現代の「いちじくの木の下」(神学校の研究室であれ、修道院や教会の祈祷室であれ)もまた、生き生きとしたイエスの証人の声に呼びかけられて、現実にイエスと共に歩む者となるための場としての意識にめざめねばならない。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

この絵は、聖フィリポを描いた作品です。中央上部の人でしょうか。彼は伝道中に、偶像崇拝のために病気が蔓延したスキュティアの町で、病人を癒したり、死者を生き返らせたという伝説がありますが、真中の少女はそのひとりかもしれません。フィリピノ・リッピの作で、フィレンツェの聖マリア・ノヴェッラ教会にあります。

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